よくある質問のひとつ。つい先日も、頂きました。
「話していない”間”が嫌です。空白が怖い・・・」
話していないと不安。だから、間を言葉で埋めたくなる、というのです。
で、
どんな言葉で埋めるかというと、無くても良い余計な言葉。
「はい、それではですね・・・えええ・・・では、はい、次は・・・」
「というか、まあこういった感じになる、ということですかね・・・はい、それで・・・」
余計な言葉が続くと、
何を話そうとしていたのか、
何を言いたかったのか、
自分でもわからなくなります。
話の論点がずれ、当然聞いている側にもわかりやすいはずが、ない。
間の恐怖から逃れるため、何か話してとにかく空白を埋めたい。
その気持ちはわからなくもないですが、
このとき、自分が「話し手視点」だけになっていることにまず、気付きましょう。
話し手は常に「聞き手からはどう聞こえるのか」
という「聞き手視点」にも立ち、モニター能力を発揮する必要があります。
この考え方で「話さない空白」を捉えると、
聞き手にとってはその空白、逆に、有り難いものになるのです。
話し手が話すことを休めば、聞き手は考える時間をもらえることになる!
私自身も経験があります。
(あ、妙な空白できちゃった!)と本番中に感じたとき、
あとになって実際にその場で聞いていた人に尋ねると
「え、そう、全然気にならなかったけど。」何ともあっさり返って来る。
まあ本当かしら、とビデオ映像で振り返ると、
「本当だ、自分で思っていた程、全然問題になってない。むしろ、ちょうどいい間になってる~!!」
そうなのですよ。
本当に。
話していない空白を気にしているのは、実は話し手だけ、ということが多いのです。
だから、
空白が出来てしまった直後に「あちゃ~~!!」と焦ったりガックリしたりしたことが
ほとんど無駄だった、気にしてたのはアタシだけ、となるのです。
なぜか?
人は、自分のことはとっても気になるもの。
つまり、他の人のことには興味があまり向かないものです。
故に、
話し手が目の前にいても、
やっぱり、それを聞いている「私(自分)」のことが常に一番強く意識にあるものなんですね。
人は誰しも、「自分」が一番の興味対象である。
^^;
ですから、
言葉がない空白の時間は、
聞き手に考える時間をもたらしている。
と思いましょう。
話し手の話が少しくらい止まっても、聞き手は気にならないものですヨ。
もちろん、まったく頭が真っ白になってしまい、
長時間(数分とか)空白になったら、それはまた別、ちょっと事件ですけれども。
間は、恐れなくてよい。
覚えておいてください。
森 裕喜子