見えてないなぁ。

とおもうことがある。


ものごとはすべて球体。


「この人はこういう人」

決めた瞬間から、その人の別の姿が見えにくくなる。


この人は

こういうトコロがある人。

そういうトコロもある人。

色んな面じゃなく、いろんな点が集まって人はできてる。


もちろん人だけじゃない。

全て球体

いま見えていると思っている世界は、

何かの残像かもしれない。

だから、それがナイということでもない。


囚われから自由になる。


今見ているものだけが現実なワケじゃない。

見えているという限定的な事実の一部。

目に光の刺激として入ってきたのを知覚しただけ。


視覚だけじゃない。

聴覚も味覚も嗅覚も触覚も

全ての感覚・知覚は

自分という限界を認めることから始めれば、

どこまでも自由になる。(とおもう)


数波を始めた時、

コレは終わりがないから安心だと思った。

あってもなくても大丈夫。

なんでもかんでも大丈夫。


世の中のことも人のことも自分ことも、

ほとんど知らない。

わからないことだらけだ。


断定的なことはあんまり言えないなぁと思う。

反面、信じるのは自分のみだとも思う。


わからないからたぶん本当。

という自分の感覚を信じる。

そんな感じ。



【わからないからたぶん本当】

表 6 6 10 4
裏 6 6 10 4
臆 3 3 2 8
調和コトバの世界へ

ひととくらべなければらくなのだ

出会いの僖び(3回)


そぉ、理解されようがされなかろうが大丈夫。

少なくとも「わからない」ということを

「わかっている」のだからニコニコ


今を生きるのクローバーしかも楽しくね音譜