VOGUE インタビュー『地獄で過ごした季節』 | picnic under the brunches

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5年前、イ・ビョンホンは、<ヴォーグ>とインタビューを終わらせながら、ウィットを装った本音を表した。
”今はもう結婚する時期になりました。女達が好む映画を撮らなければならない時点なんですよ。ハハ。息子と共にトレーラーに乗ってアメリカ横断をすると想像してみてください。本当に素敵ではないでしょうか?新しい家族ができるということは。”
もちろん5年が過ぎた今、イ・ビョンホンはそのような望んだトレーラーで生活している。アメリカ横断トレーラーでないハリウッドスタジオ映画現場のトレーラー。その間、彼が希望した新しい家族は出来なかったけれど、彼は中国、ヨーロッパ、米国、香港、日本・・・全世界をパイロットのように流れて世界的に有名な映画ファミリーらと契約を結んで映画を撮っている。
素朴に望んだ人生とまぶしく成し遂げた人生。5年前と5年後、その間隙はどこで生まれたのか?その理由が<中毒>以後5年の間、女たちが好むような映画2本に出演したにもかかわらず、(三人の姉妹と恋愛スキャンダルを行う韓国版カサノバ<誰にでも秘密がある>と、農村娘との10日間の愛で一生独身を守った韓国版純愛<その年の夏>)、二本すべての興行が優れなかったためであろうか?

また過去に帰ってみよう。8年前、’映画はだめだ’というイ・ビョンホンに’興行俳優’の光栄を抱かせた作品は、パク・チャヌクの<共同警備区域JSA>。
その映画でイ・ビョンホンは非武装地帯の地雷畑で北朝鮮軍に向かって、”そのまま行くつもりか?”と泣いてしまう忠武路の도로사(ドロシ)スタイルの男であった。その兵営映画に’女’は居なかったし(イ・ヨンエは中立国監視委員会の冷徹な捜査官だった!)、むしろイ・ビョンホンが一種の女性的内面をおさめた叙情的な軍人の役割をやり遂げた。パク・チャヌク監督は善と悪が不明な理念の無重力空間を耐えられなくなり、拳銃自殺する気が弱いイ・ビョンホンの顔を劇的なクローズアップで捉えながら、映画の倫理的情緒をくみ上げる。

きわめて男性的な容貌に女性的な心情と表情のディテールを持ったイ・ビョンホンを看破した二番目の監督はキム・ジウン。
うまくいった組織員で、ボスに捨てられて地獄のどん底に落ちる<甘い人生>が、ひたすら’元に戻すことは出来ない’という心理的미정센(ミジャンセン)の切迫したスペクタクルが画面のリズムを掌握する。
そしてキム・ジウン監督はピストル洗礼を受けて格好良く死んでいくイ・ビョンホンの甘くて息苦しい顔をロングテイクエンディングでつかみ出して、映画の美的情緒を引き上げる。
私はパク・チャヌクとキム・ジウンの映画で、イ・ビョンホンが涙声で話して炸裂させた一言のセリフを忘れることは出来ない。
”そのまま行くつもりか?”と、”答えて、本当に私を殺そうとしたんですか?”倫理的判断と美学的判断の崖っぷちで弁証法的に進化した男。

今、第三の全盛期を迎えているイ・ビョンホンが帰ってきた。全ての複雑な心理的迷路から抜け出て、キム・ジウンとの二番目の映画<良い奴、悪い奴、変な奴>という映画を持って。
この映画で彼は、’悪い奴’チャンイ役を引き受けた。その間、2007年初夏には木村拓哉と<HERO>を撮ったし、真夏と秋には<シクロ>のトラン・アン・ユン監督の映画<I come with the rain>でジョシュ・ハートネットと出演したし、ほぼ同じ時期に日本でツアーを持ったし、現在はハリウッドブロックバスターに出演中だ。
彼はハリウッドから、この映画の最後の後時録音のために少しの間帰国したし、その間、<ヴォーグ>の撮影を決めた。緊迫に編まれたハリウッドスケジュールで今月末に予定されたカンヌ映画祭出席さえ未知数だ。

”カンヌの赤い絨毯を歩いてみるなら、映画を撮るために体験しなければならなかった1年間の苦労が皆帳消しになります。私の映画を観るために、全世界の人々がはせ参じるのか!”
<甘い人生>に引き続き、<ノム、ノム、ノム>で二番目のカンヌに招待されたイ・ビョンホン。世界的なスケールと違って、彼は今、江南(カンナム)のあるスタジオでバスケット選手のようなトレーニングスーツを着て、床にうずくまって座って、鳥のささみサラダを食べている。
”中国映画100日、米国映画100日・・・このように我を忘れて外国を行き来してると、他の人々を意識しないでカジュアルになれます。生存本能だけ残るんですよ。ハハ。”
見るにも水っぽくてパサパサして見える食べ物を、まるでダンキンドーナツを食べる時のように口を大きく開けて力強くかむ。彼が脂身の無い肉質を噛む度に、黒く鍛錬された雄大で威厳がある胸が揺れるようだった。
”私が食べるのを見れば食べたくなるでしょう?”
それから、まもなくこの食事法が引き起こす否定的な反応に気を使い始めた。
”この話を書くんですか?筋肉作りと食事療法に中毒になっているように見られるかも知れないでしょう?でも、食べるのを統制してみると、たまに行って食べる一般の食べ物が楽しくて幸せです。”

3年前、<甘い人生>撮影直後に会った時、彼は私に、地獄から帰ってきたと言った。
”映画シナリオを見たとき、これより更に素敵な主人公があるだろうか、と考えました。だが撮影の途中で知る事になりました。これは主人公を殺すための映画だね、と。監督は本当に私が死ぬ事を願っているのか?もしも土の中に生き埋めにされたときの気持ちが分かりますか?”と、イ・ビョンホンが尋ねた。
そうだな、それは身を動かす事が出来ないし、息をする事が出来ないし、前を見られないし、悲鳴をあげる事が出来ない・・・はなはだしくは彼は綱で全身を縛られたまま、ぶらりぶらりぶらさがって、刺身包丁でユッケ(人体解剖?)をされようとする直前に脱したりする。
しかし閉鎖された密葬状態から抜け出して、中国大平原で馬に乗って銃を撃ってナイフを投げるウエスタンムービーを撮って帰ってきた今は、むしろ超然としている。しばらく映画の中に入っていってみよう。

1930年代、銃刀が横行する無法天下満州の縮小版帝国列車で、朝鮮の風雲児、三人の男が運命のように出くわす。お金になる事は何でも狩る懸賞金ハンター桃源(トウォン/チョン・ウソン-良い奴)、最高でなければ耐えられない馬賊親分創痍(チャンイ/イ・ビョンホン-悪い奴)、雑草のような生命力の特攻隊列車強盗犯テグ(ソン・ガンホ-変な奴)。ロシア人、中国人、満州人、朝鮮人まで人種と言語が衝突した爆発直前の溶鉱炉帝国列車、血の色치파오(チパオ)をまとった美女らの阿片窟、北風の下繰り広げられた大平原、不法武器製造業者と奴隷商人が共存する貴市場、馬を走らせながら、銃を撃って、爆破シーンの真ん中でバイクが疾走して、銃声に驚いた馬がカメラを襲ってきたその大地獄でイ・ビョンホンは生き返ってきた。その大平原の地獄で送った一時期がどうだったのか。

”チョン・ウソンさんは馬が交通手段の人です。半分を中国で過ごすからです。しかし私は、馬に乗るのを習う前に、家の近所で事故で脚が折れてしまいました。1ヵ月半ギブスをして松葉杖をつく時ぐらいに、馬の鞍の上に乗って、よちよち歩き練習をしましたよ。中国大平原の力が何か分かりますか?ひとまず乗りさえすれば馬らが車より速く疾走するというんです。驚くべきであることは、三人の俳優が全くスタントを使わないで追撃戦を行ったという事です。互いにもっと出てこようと神経戦を行った事か、後には手を離して馬に乗ることさえしましたから。怪我して落ちて・・・一日一日が、超緊張状態でした。”

彼は何度もこの映画が、楽しく走って殴って壊す(注:抱腹絶倒、と言う意味?)娯楽映画と言う事を強調した。三人のトップ俳優らの二転三転映画にはスタントマンもCGも登場しない。彼らの物理的競争心のおかげだ。私がカンヌ映画祭に示す予告編でほとんど脱いだまま野卑にナイフを投げる手並みが一品と言うと、彼は娯楽映画に似合う冗談を言った。
”その場面一つのために筋肉を作りましたから。ハハ。”
そのように時には単純で複雑な男、寂しくて爆発的な男、利口ながらもあほらしい男、活動的で家族の中心的だが、いつも即興的に自由な準備が出来ている男、イ・ビョンホンの人生にはリズムがあった。彼のリズムはジャズ、冷たさと熱さを持ったリズムはビーバップになって、その後にはどんなリズムに変わるのか予測する事は出来ない。

何年か前、彼にハリウッド俳優らがロンドンの小劇場舞台に立つように、メジャーとマイナーを行き交うつもりがないのか、と尋ねたことがある。その時イ・ビョンホンは、特有の鋭い冗談で一座を笑わせた。
”CGだらけのSFブロックバスターと<ハムレット>を行き来する事ですね?素晴らしいです。はい。私もハリウッドに行けばそのようにしようと思います。”
そして今彼は手順の通りハリウッドに行ってCGだらけのSFブロックバスター映画を撮っている。メジャースタジオパラマウントが制作して、スティーブン・ソマーズが演出する。チャニング・テイタム、デニス・クェイド、そしてシエナ・ミラーが出演する大作アクション映画で、同名の人気漫画を土台として製作される。

”ハリウッドで映画を取ると言う事は、精神的に大変な事です。見せろと言うなら自身の演技的特性を最大限見せてあげたいです。だが、この映画はビジュアル、CGのために作る娯楽映画です。演技が芸術でなく、CGが芸術になる映画でしょう。漫画を原作にした映画に参加しながら、考えが多くなりました。そうするうちに、幼い時期を考えてみましたよ。私が劇場が好きだった理由は、まさにそのような想像力が現実になる映画等を観るためにだったでしょう。ジャッキー・チェンの映画とブルース・リーの映画、チャップリンの映画・・・私に夢と幸福を与えた事は、まさにそのような種類の映画たちだった。”

傑出した映画演技者としてのイ・ビョンホンの足場が心理的迷路を持った感性的アンチヒーローだったら、彼の未来は肉体的に’邪悪な役割’にかかっている。
<ノムノムノム>の’チャンイ’は演技生活17年の間、彼が始めて引き受けた悪役で、偶然にも<I come with the rain>で彼が演技した’ス・ドンポ’も悪役であり、忍者’ストームシャドー’も表面的には悪役だ。彼が’悪い奴’を演技する時、例えば<甘い人生>の、ファン・ジョンミンでも、<いかさま師>のキム・ユンソク、<レオン>のゲイリー・オールドマンと同じような’力を抜いた熱い表情演技’を参照したかを問うた。
”今までの悪い奴らは表情が多かったです。だがこの映画で私は表情の過剰を使わなかったです。私の演技はリアルでも鮮やかでもないです。しかしもう少し生物学的ということがあります。運命がかすめて過ぎ去る時、爆発的に出てくる過剰行動、過剰キャラクターです。偶然なアクションが作り出す巧みな表情のようなものなどがおもしろいです。”

彼は自身のポートレートギャラリーとも同じだった映画<甘い人生>と<ノムノムノム>、これらがどれだけ違うかを説明するために、好きないくつかの場面を例にあげた。ボスの命令でシン・ミナが恋人とレストランで食事するのを監視しながら、一人でぼんやりオデンを食べた寂しい姿、そうするうちに漢江(ハンガン)大橋の上でいいかげんなごろつきらを残忍に叩き伏せながら爆発した姿。
”<ノムノムノム>にはそのような心理的ニュアンスがありません。馬賊団部下が過去の伝説的な戦いに触れて、’ところでそいつが更に強かったのですか?親分様が更に強かったのですか?’と尋ねる場面で、私はそいつをびしびし残忍に踏んでしまいます。最高でなければ耐えられない人がまさに’チャンイ’ですからね。”

最高でなければ耐えられない。それなら最高の個性と才能と容貌を持った人々が集まる芸能市場でもスター性の優位を選り分けようとする欲望はもしかしたら当然だ。
極度に萎縮した映画史上で長期失業状態でストレスを受けるトップ俳優らがあふれ出る中で、自家動力を持った三人の男が目立つ。映画と人生をマネージングしてボス(的立場)を発散させるぺ・ヨンジュン、チャン・ドンゴン、イ・ビョンホン。彼らは皆韓流の震源地であり、自分の事業体を持っているし、製作者になって芸能市場を動かして、アジアと中国とアメリカを舞台として活動する。イ・ビョンホンに残り二人の男に対してどう思うかを尋ねた。
”ぺ・ヨンジュンとチャン・ドンゴン・・・その方らは私より、より多いものを持ちました。私に、どんな風にしてスターになったか、と尋ねれば、私には何も浮かび上がらないです。私は成功する、成功しないの違いを判断するプロデューサーの才能も、ビジネスマインドも無いです。ほとんどバカ水準と言えます。IQ、容貌、演技、運・・・皆そろえたようですが、それは表面的に包装されたことに過ぎません。私が持ったのはありのままの感情・・・。好き、嫌いの純粋な感情みたいなものです。

突然私達の対話は映画に対する態度に対する、彼の挫折感と哀訴に帰った。
”考えてみれば私を成す成分は、変な奴50%に、悪い奴とよい奴が適切に混ざっているようです。私はとても複雑な奴です。例えばナイトクラブに行くとしましょう。リズムに良く乗って遊ぶ時には、自我陶酔感におぼれます。そうするうちに、音楽が変奏されれば、あっという間に慌ててリズムを逃します。そうする時、罪悪感と恥のため死ぬほど苦しいです。映画の仕事をしてからそうだという話です。暮らすのが大変な方にはそれがなんとも無いでしょうが、その瞬間が全部である私には幸福と不幸の基準になります。”

私は今まで数多くの俳優達の演技批評をしてきた、ソン・ガンホ、チェ・ミンシク、ソル・ギョングのような異論の余地が無い演技派俳優達も、いくつかの作品では慣習的演技と過誤をやらかす、だが、イ・ビョンホンはちょっと違う。演技を更に完璧にやり遂げるというのではない。
彼に’あなたの演技は技術的な慣習が無いから、俳優論を使うのが大変だ’と不平を言った。良い意味でも悪い意味でも彼が引き受けた役割らは、似ている深さと情緒があると話すと、彼はしおれたように見えた。
イ・ビョンホンに私の話が批判ではないと説明した。自分の才能を少しずつ違うように利用しながら、映画ごとに同じペルソナを見せる、そのような俳優論だ。
”そうですね、私も私の内面が分かりません。”
イ・ビョンホンは漫画のキャラクターの忍者と娯楽映画の悪党、芸術映画の暗黒街の親分を行き交う、自分の幅のある歩みが信念が無くて、自分の中心が無いように見られるかもしれないとつぶやいた。臆した顔で、また活気に満ちる顔でこのようにも話した。
”ところで、前衛映画とCG映画、スタントマンも無い娯楽映画・・・そのような現場に私を投じて、再構成される姿を見守る事も面白いです。”

卵の白身で作ったサンドイッチと、有機栽培イチゴジュースで、二回目の夕食をしながら、彼はずっと慎重な姿勢でインタビューに応じた。
彼は過去のイ・ビョンホンでは無かったから、以前のように”私のはじめてのセックスの相手は私より二才年上の女性だったんですよ”のような爆弾発言で私を楽しくさせる事も無かった。家族らが一緒に集まって住む、三階建ての田園住宅の設計図まで書いて見せて、うっとりした表情を作る事も無かった。
”飛行機のチケットが世界的であるだけで、まだ何も検証されていない”と言う話のように、ワールドスター・イ・ビョンホンは今からが始まりかもしれない。
しかし写真撮影で見られるように、驚くほど爆発的な野生とルネサンス的な美徳をそろえた男、俳優でなく、何でもない純粋の状態になりたいスーパーヒーロー、イ・ビョンホン。


(VOGUE『INMAGAZINE』2008年6月)