2014年の後半、ローマでピアニストをしている方の紹介から、現在の声楽教師とお会いすることになった。

 

これも自分の声に関することでは大きな変化だった。

 

コンセルヴァトーリオ。

 

音楽大学の大学院のことを、イタリア語ではそう呼ぶ。

 

というか、日本での音大とは全然意味合いが違って聞こえてくるのが本音だけれど。

 

 

 

この年、イタリアに移住して2年目。

 

この頃はなんだかふヤーーーっとした気持ちで日々を過ごしていた。

 

ナポリが快適すぎた。

 

ナポリが幸せすぎた。

 

自邸が天国だった。パラディーソ。

 

この世に生まれた幸せを全身で感じていた。

 

それだけ理想的な環境だった。

 

朝、鳥の鳴き声を聞いて目覚める。

 

地中海に登る朝日を浴びながら、濃くて苦いエスプレッソを入れて飲む。

 

好きな時間にピアノを弾いて歌う。

 

大好きなワインもシャンパンも、どの店に行っても手に入る。

 

野菜もお肉もお魚も美味しい。

 

人々は気さくで親切。

 

ひのうちどころがない生活に、これまでの苦労を癒していたかのようだった。

 

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やっぱり好きなことで起業して生活できるようになるまでの過程は大変だったんだと思う。

 

勉強もしなきゃいけない。

 

お金も稼がなきゃいけない。

 

人間関係も頑張らなきゃいけない。

 

そういうやらなければならないことを最大限頑張った先に得たチャンスだったからだろう。

 

 

 

 

純粋に歌手としてチャレンジできるということ。

 

声の道に行くと言って始めた時にだって、その覚悟があったはずだけれど、目の前にそれが現れて戸惑い、満足したのだろうと思う。

 

 

 

だから、2014年後半のサレルノ音楽院での出来事はショックだった。

 

うますぎる、、、、、image

 

他の生徒が。

 

わずか19歳、21歳の青少年たちが、すでに自分がどれだけやってもできない発声を、目の前で繰り広げるのだ。

 

 

あぁーーーーー

 

 

うまーーーーー

 

 

こりゃだめだーーーー

 

 

と思った。

 

やっぱりイタリアに引っ越す前に感じたことは真実っぽかった。

 

 

 

挙げ句の果て、先生のマンツーマンレッスンを受けているときに、こう言われた。

 

 

「ミュージカルとかポップスはどう?」

 

 

がーーーーーーーん

 

 

それって声楽は無理だって間接的に言ってるわけ??

 

 

なんじゃーそりゃーーーー

 

 

ミュージカルったって私ダンスできないから無理だよ。

 

ポップスったって私そういうの好きじゃないしやりたくないよ。

 

オペラ好きだけれどオペラは無理??

 

なんのためにイタリアに移住したんだよーーーー

 

しかもそれが、声のことを本当にわかっていらっしゃる方からの言葉だったからこそ重みがあった。

 

 

 

どよーーーん。。。。。

 

 

そう感じた日を覚えている。

 

そう感じるのも無理もない。

 

 

 

 

というのはそのサレルノ音楽院への道のりだ。

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当時の自邸からその学校まで、なんと片道4時間!

 

田舎だから、バスと電車と徒歩を乗り継いで通わなければならない。

 

雨のひが特に辛かった。

 

行き4時間、帰り4時間。

 

レッスンは自分が受けるもの1時間半、他の生徒のレッスン見学に2時間半と行ったところだ。

 

その生活が一年近く続いた。

 

いやんなる

 

いやんなる

 

いやんなるぜよまじ

 

 

 

長い時間、無駄に移動するのが本当に嫌になった。

 

読書だって読む本がなくなった。

 

イタリアはインターネットが不安定で、おまけに当時はお金がなかったから、通信無制限プランなんてとても使えなかった。

 

だから、ボーーっと電車の外を眺めていた。

 

ボーっとバス停の景色を眺めていた。

 

まだバス来ないなー

 

まだ電車来ないなーー

 

 

時刻表によると、もう20分前に、バスが到着しているはずなんだけどなーー

 

おかしいなー

 

いやおかしくもないなー

 

イタリアだしなー

 

ナポリだしなーー

 

強がってはみせるが、ホンネではうんざり。

そうやって嘆いている自分に疲れた。

 

そうやってぼーっとしている自分に、ああこんなことしてていいんだろうかと疑問を抱いた。

 

こんなことしてる場合か。

 

もっと頑張れ。

 

もっと工夫しろ。

 

 

 

 

 

でも他の方法なんてなかった。

 

勉強するしかない。

 

いい先生だった。

 

他の生徒も素晴らしかった。

 

結局、2021年になってもいまだに彼らと交流があるのは、やっぱり彼らが素晴らしいからだ。

 

つまんない比較や競争心やプライドなんか関係ない。

 

素晴らしいものは素晴らしいから。

 

そうやってやってたら、やっぱりちゃんとチャンスは訪れた。