東京・代々木に立ち寄って想ったことがあるから書いておきたいと思う。

 

ここ代々木は、ボイトレというものとの出会った場所だ。

 

声の活動を始めた2006年。

 

それまで国際関係や法律を勉強していた自分にとって、声に関する知識や技術は全くの未知だった。

 

予算もないし、まずはボイトレに関する本を本屋さんで探して回った。

 

当時はまだ電子書籍も一般的ではなかったから、書店の棚をみて回る。

 

そうすると、あるボイトレスクールの文字が目立って見えた。

 

日本でのボイトレ関連書籍でナンバーワン。そのスクールは代々木にある。

 

アルバイトをしてお金を貯めて、早速体験レッスンに申し込んだ。

 

それまで別のボイストレーナーさんのDVDをみて自宅で勉強していたけれど、もっと専門的な歌の発声技術を学びたかった。

 

そうして受けたレッスンは目からウロコ!

 

一人の生徒に対して二人のボイストレーナーが担当する。

 

生徒本人が、自分自身の声に関する考え方を養えるようにする配慮だそうだ。

 

お一人目の先生は、とにかく自分が出せる一番大きな声を出すように教わった。

 

その声を、前や斜め下、後ろや上に出すようにして喉を鍛えていく。

 

お二人目の先生は、目と目の周りで「マスケラ」と呼ばれる部位に響きを収束させて歌うように仰っていた。

 

そのお二人ともオペラ歌手でいらっしゃるから、過去のさまざまなテノール歌手にまつわるお話を教えてくださった。

 

 

力強く美しいジャコミーニ。

 

オペラ界のレジェンド、カルーソー。

 

ドラマチックテナーの先駆けであるマリオデルモナコ。

 

劇的で雄渾なフランココレッリ。

 

100歳近いのに素晴らしい声で高音を響かせるアンジェロ・ラフォレーゼ。

 

 

オペラというから三大テノールや、当時はやっていたポールポッツしか聞いたことがなかった自分からすれば、本当に革命的だった。

 

当時はYouTubeが未発達だったから、iTunesで曲を探してダウンロードして、本当に何回も何回も聞き込んだ。

 

彼らが出演したDVDを買って何度も再生してみた。

 

 

「死ぬまでにこんな声になれるのかしら??」

 

 

多分なれないだろうなーと感じた。

 

 

他にも、ジラーレやアッポッジョ、キウーゾやアペルト、マスケラにナザーレなど、まだイタリア語なんてゼロ知識の自分からすればなんのこっちゃという用語がたくさん出てきて、それだけで新鮮だった。

 

 

同時に麹町でタレント事務所に通い、ミュージカルダンスや演技も教わっていたのだけれども、ダンスがとにかく下手くそで、周りに全くついて行けなかった。

 

演技は気持ちが入って何度も短い芝居を練習して、これは才能あるかもなと思えた。

 

となると、歌って踊れる人がなるミュージカル俳優にはなれまい。

 

しかし、生粋のオペラ歌手みたいな声にも今のところなれる気がしないな。。

 

 

レッスンを受けてみて、見えてきたことだった。

 

しかし自分は声の道に進みたい。

 

決断したんだ。

 

諦めるわけにはいかない。

 

とにかくまずは続けてみよう。

 

そう想った。

 

 

 

 

 

そうやって代々木と麹町に通っていたが、麹町に通うのをやめて、声楽のレッスンに集中し始めた。(朗読のお稽古はまた別)

 

そうしているうちに、先生が声楽を習ったというボローニャの街についての話がでた。

 

イタリア、いいな。

 

自分も本場で勉強してみたいな。

 

その気持ちが芽生えた。

 

スクールが発行しているボイトレ誌も大変刺激的だった。

 

芝居、歌、表現、体のこと、多岐にわたる話がのっていた。

 

その時点では、イタリアに行くなんてとんでもない夢物語だった。

 

 

 

 

 

そうやって年月が流れて5年。

 

その五年間で、朗読と歌を組み合わせたステージを東京で何度も経験させていただいた。

 

オハコの曲も何曲かできた。

 

運よく仕事が順調に発展して、イタリアに渡航できそうなお金ができた。

 

2011年1月、初めてのイタリア。

あの頃はこんなピザ食べてた。

ローマ到着初日の夜に、バス停で財布をすられた。

 

愕然として泣いた。

 

だが、家族に勇気づけられ、心機一転、スクールの先生がお話ししていたボローニャへ向かった。

真冬の石畳は寒かった。

 

何日か歩き回ってレッスンをしてくれそうな声楽教師を発見した。

 

 

その先生にそれから二年間教わった。

 

それもまた、自分の声に関する知見を大きく広げていいただける貴重な学びとなった。

 

その二年間、イタリアと日本を年に四回行ったり来たりしているうちに、少しずつ一つの想いが明確になった。

 

 

「あれ?意外と自分でもいけそうだな」

 

 

スクールの先生たちが言っていたイタリアのイメージと全然違ったからだ。

 

先生たちは、イタリア人たちは生まれつきみんな声がすごいから、しゃべっても歌っても日本人には到底勝てないということをおっしゃっていた。

 

だが、実際は、結構日本人と変わらないし、むしろカラオケボックスがないせいか、音を外すし声量がある人と巡り会うのは稀だった。

 

まぁ、その後、2014年後半にサレルノ音楽院に通うようになってその認識は変化するのだが・・・。

 

 

2012年時点では

 

「工夫してがんばればいける!」

 

という確信に変わった。

 

 

 

 

 

それから10年近くたって、2021年5月。

 

今こうして、代々木の地を踏んでいる。

 

変わらずそのボイトレスクールが存在していてくれて、なんだか嬉しい。

 

自分にとっての歌との原点の一つだから。

 

感謝だけが湧いてくる。