「先生、日本の人たちはエンペラーナルヒトを崇拝しているんですよね?」

 

「ん?今上天皇のこと??」

 

 

 

「日本についてのドキュメンタリーで見ました!

第二次大戦の時は国を守るためにカミカゼアタックでエンペラーヒロヒトのために忠義を尽くして戦ったって!

スゴイですね!

尊敬します」

 

「うーむ。。」

 

 

 

「日本人って思慮深くて、

いつも健康的な日本料理を食べていて、

世界の誰よりも労働時間が長くて、

仕事のモラルが高くて、

収入や名声より人として徳があることを優先して、

命を顧みずに国家のため公共のため国民のために仕事するんでしょ?

スゴイですね!

私たちイタリア人も見習った方がいいと思うんです」

 

うーーーーーむ。。

 

 

 

 

「日本人はお金を使わず全部貯蓄して、

子育てや両親の介護を自分の楽しみや趣味より優先するんですよね?

スゴイですね!

イタリア人は貯蓄せず目先の楽しみばかり追いかけてしまいます。

見習わなきゃいけないですね」

 

「ううううーーーむ」

 

 

 

「日本人は日本の伝統を大切にして、昔からの祭りやキモノを大切にしているんですよね?

誰もがカラテやジュドーやサムライソードを練習して、

ショドーで複雑なカンジを書くことができる。

なんてスゴイ人たちなんだろうと思います」

 

「ありがとう。。そんな君に、現代日本の実態を話すのは気が引けるレベルだよ」

 

 

 

 

「そうですか??」

 

「まず、すごく細かいことだから外国人の君がわからなくても全然いいんだけど、

私たち日本人は天皇陛下のお名前を呼ぶことはまずないよ。

確かに英語圏でもイタリア語圏でも、国王や皇帝についてはホアンカルロスとかエリザベスとか名前で呼ぶのはわかるんだけれど、

ネイティブニッポン人はただ『天皇陛下』って呼ぶのが普通だと思う。

お名前を呼ぶのはやや不敬な印象があるのだ」

 

 

「そうですか!」

 

「そう。

それで天皇陛下に命がけで忠義を示すというのは、

多分ラストサムライや第二次大戦中を扱った映画をきっかけに知ってもらったと思うのだけれど、

現代日本人にそこまでの意識はないと思うよ。

例えば、私は予備自衛官と言って、自衛隊のメンバーをさせてもらっているのだけれども、

自衛官がする服務の宣誓でも『国民の負託に応えるため』に戦うのであって、

天皇陛下をお守りするためとは言わないんだ。

まして、国体の維持ですら宣誓ないように含まれていないよ」

 

 

「そうですか」

「そして、日本料理ってものすごく幅が広くて、

そりゃもちろん江戸前寿司も食べるけど、

ミラノ風ドリアやスパゲッティナポリたんなんてあるからね😅 」

 

「ミラノ風ドリア?!なんですかそれ?!」

 

「日本で大人気の庶民向けレストランチェーン店サイゼリアの創作イタリア風日本大衆料理だよ。

日本の人たちは昔から、オリジナルを外国から取り入れて、

ニッポン式にアレンジして面白いものにするのがすごく上手なんだよ」

 

 

 

「へぇー」

 

「武士の魂と呼ばれるカタナソードがあるけど、実は戦国時代の武装のメインは長ヤリと鉄砲。

西洋人が南日本に上陸して、キリスト教と鉄砲を持ってきたんだよ。

それを数年のうちに国産化して、瞬く間にメインウェポンにしちゃったの」

 

「そうだったんですか・・・てっきり明治レヴォリューションまで鉄砲はなかったのだと思ってました」

 

「いや余裕であったよ。

そもそも君が興味を持ってくれている日本の古流武術には砲術というのものがあって、

火縄銃や大砲の使い方が安土桃山時代頃から伝承されているんだよ」

 

 

 

「(°_°)カタナだけだと思ってました」

 

「そして、確かに現在40歳以上の年代のジェネレーションは滅私奉公で働くという価値観を保持している方がマジョリティのようだけれど、

30代以下、さらに20代は完全に別の価値観だよ。

彼らは基本的に働きたくないんだ。

国や国民や名誉のためにっていうモチベーションで働く人は極々一握りで、

そういうことを上司が強制するのは時代遅れでハラスメントということになって裁かれてしまうんだよ」

 

 

「ええ?!滅私奉公なんて素晴らしい価値観なのに?!なんでダメなんですか?!

 

「自殺率の増加や、ライフワークバランスという概念が西洋から導入されたこと、

それに根強いのは戦後アメリカ占領軍が指導した日本の伝統的価値観の否定だろうね。

我が国はアメリカを中心とした連合軍に占領されていたから、司法・経済・政治あらゆる面で影響を受けたんだ。

武道も一時期全て禁止されていたんだよ」

 

 

「それは知ってます。あんな素晴らしいブドーを禁止するなんて、よっぽどアメリカ人は日本人が怖かったんでしょうね」

 

「それは確実にあると思う。理解できない存在。死を恐れないウォーリヤー。

直接対峙したアメリカ軍人が恐怖を抱くのは当然だろうね」

 

 

 

「尊敬します」

 

「残念ながら、今の日本人は、あらゆるジェネレーションにおいて、日本の伝統文化にあまり興味がないんだ。

ちらほら文化を見直そうという動きはあるんだけど、それは知識人や高所得層がメインになっていて、

一般大衆までがそうだとは到底思えないよ。

武道や茶道や書道、日本舞踊に日本料理など、あらゆる伝統文化において継承者がいなくなり高齢化が進み消滅しかけている。

イタリアでオペラやクラシック音楽を好む人たちがどんどんいなくなっているのと同じだね」

 

 

 

「そうなんですか・・・それはすごく残念ですね。。」

 

「自国の歴史や文化に興味がないという人ほど、薄っぺらいものにすぐ飛びつくのかなと思うね。

カンタン、ハヤイ、ヤスイ、ワカリヤスイ。

一方、日本の伝統的なものはどれも深くて洗練されてて難しいところがあって、

そういう現代人の求めるものに応えるのはとても大変なんだ。

そして、伝統文化の継承者の方々にも二種類いて、一つは工夫して次の世代に受け継ごうという人たち。

もう一方は消滅しちゃえばいいと思っている人たち

残念ながら後者の方が多数派だよ。継承者のほとんどは高齢者だし、新しい世代に伝えていくにはバイタリティが必要で、それを求めるのは酷だ。それに多くの伝統文化は時代のニーズに合わないし、それを習得する過程を再現すると犯罪になってしまうこともあるからね」

 

 

「ひどい!!素晴らしいものを残して欲しいです!!

コスプレーヤーはみたいですけど。

みんながハラジュクやシブヤみたいになっちゃった日本なんて見たくないです!」

 

「いやほんと。。君が言っているのはハチ公がある渋谷スクランブル交差点のことだね?

あれが日本どこ行ってもスタンダードなのが残念な日本の実態だ。

男性は目先の利益を頭で判断して行動しがちだけれど、

女性はカンが鋭い分、キモノ可愛い!とか刀剣乱舞可愛い!とか、感性で行動できるところがあるようでね。

多くの日本伝統文化は男性が継承者だったのだけれど、

最近は女性がその方達のフォロワーになっているケースをよく目にするよ」

 

 

「ブドーでもですか?」

 

「うん。日本の男性が見てるのはサッカー。バスケ。野球。ブドーに関心がある日本男性は極々一握りに過ぎない。

それもアメリカ占領軍の統治政策の一つだろうと思うけど」

 

 

 

「それはひどい!!」

 

日本が日本ではなくなっていく。それはとても残念なことだと思う。

私は本来の日本が大好きなのだよ。

欲望に踊らされ不安にコントロールされる日本人に興味がない。

だから少なくとも私くらいは、本来の日本の素晴らしい文化を学んで実践して受け継いでいきたいと思っている。

だからここにいるのだよ」

image

 

 

 

イタリアの日本文化好きの方々とお話ししていると、ほぼ間違いなく天皇陛下の話が出てくる。

 

武士の美徳。

 

忍耐、従属、名誉心、ルールを守る公共心。

 

日本の素晴らしさは、外国人の方がよく知っている。

 

日本の伝統文化といっても多種多様で、時代によって異なる。

 

同じようにイタリアもそうとうに多種多様な歴史を歩んできており、様々な民族の移動と文化吸収の末にイマのイタリアがある。

 

日本が日本でなくなってしまうレベルでの変化がアメリカ軍の占領で生じたのは、日本が初めて他国に占領された経験だったからだろう。

 

そして、忍耐従属公共心とは本質的に正反対のワタシがなぜか外国で日本文化について解説しているというフシギな現実。。

 

イタリアでもイランでもオーストラリアでもブラジルでもアルゼンチンでも、膝付き合わせてじっくりとお話するようにしている。

 

 

 

 

 

偽りを捨て、本来の自分を生きるということ。

 

それは、無駄を削ぎ落とすことに他ならない。

 

無駄とは、自分にこびりついているヘンな常識や思い込み。

 

 

 

 

ちなみに、私はベースボールやサッカーつまらんと言っているわけではないし、びっくりドンキーやハンバーガー、それに戦後日本の血の滲むような努力を否定しているわけではない。私もゴルフ大好きだし

 

 

 

ただ、今この瞬間の、あなたの心の話をしているのです。

 

 

 

 

歴史認識をめぐる議論は、我々に一つのことを教えてくれる。

 

それは、今を生きる人間にとっては、過去どうであったかという事実よりも、どう思い込みたいか?

 

の方が今を生きる人間にとって重要であるということだ。

 

 

 

歴史を知れば知るほど感じること。

 

それは、今この瞬間、一瞬一瞬を生きるしかないということだ。

 

過去どうだったから自信ないとか、過去偉大だったから自分は偉いとか、そんなことになんの意味もない。

 

人間世界は基本的に人治であるから。

 

解釈は時代によって変動するので、戦争で人を殺せば英雄だけれど、道端でそれは犯罪になるということが起こるのだ。

 

 

 

うわっつらの人間の価値観を捨て去れ。

 

そこに本当の人間の価値観があるから。

 

人として生きる意味はたったの一つ。

 

本来の自分を生きることだ。

 

そのためには、やりたくないことをやめる。

 

そして、やりたいことをやること。

 

シンプル。

 

カンタンです。

 

 

言い訳をやめる。

 

 

image