やっぱりまた人種差別を受けてしまった。。。
やれやれ。
正直すごく疲れるし、
こんなことを経験したくもないし、
差別を是正するアクションを起こすことだってそもそもイタリア語や英語でやらねばならないのだし大変なのだが、
やはりやらないでいるというわけにはいかない。
だいたい、前回3月にカンパーニャ地方で二回人種差別を受けたときのことを日本語で書いたら、
日本語を大学で勉強中のイタリア人の青年から
「その情報はステレオタイプで間違いです!偏見はやめてください!ナポリは素晴らしい街です!昔から人種差別なんて存在しません!」
というコメントをもらってしまったのだから。。
やれやれ。。。
じゃなんだ?私が経験した人種差別は??オイオイ。。。
カタカナ・ひらがな・漢字のコンビネーションに加えてさらに外来語まで活用する日本語は本当に難しいし微妙な表現であるし、ましてや私はあえてダイレクトな表現をする傾向が強いわけだし、
その青年が使っただろうグーグル翻訳や、文脈ではなく各単語から紐解く方法しかない。
非日本語母国語話者からすれば誤解を生んでしまっても仕方がないのであるし、
そのナポリの学生さんが感情的に反応するような言葉を私が使ったのだろうし。
だが事実は事実だ。
人種差別は今この瞬間にある。
ヤダヤダ
ことが起こったのは今日。
夕方六時半。
私がナポリから地元ヴィーコエクエンセに移動するローカル電車の中。
私が乗っている車両の隣の車両から、騒がしく何かを叫んでいる男の声が聞こえた。
ナポリという街には、こういう感じの、ちょっと頭がおかしい人が度々出現するものなのだ。
叫んでいる。特に酔っ払っているとかそういうわけでもなくて、というのは、匂いでわかる。
日本でいうところの東京のホームレスさんの匂いと同じだからだ。
たまに電車に乗っていたりする。
と書いてしまうと、これまた東京のホームレスさんへのステレオタイプで偏見なのではないかという非難があるかもしれないけれども、匂いを比喩する表現としてはそれが一番わかりやすいはずだ。
特に夏場は出現率が高い。暑いからかな?
だいたい一回電車に乗れば一人は確実にいる。
冬場は、夜になると大抵いる。
もしかしたらシンナーとかクスリでおかしくなっちゃってるのかもしれない。
この地域では、マリファナは高くて買えないからシンナーを吸うという人が多いらしい。
うるさいので、無意識的に車両の誰もが彼を観察していた。
どうも、座っている人や立っている人に話しかけて、何か不満を吐露している模様。
ナポリ人は優しいから、苦しんでいる人には恵んであげたり共感してあげることが多いように思う。
それはキリスト教のカリタス『CARITAS』という精神があるからだろう。
貧しきものほど幸いあれという教えが根幹にあるのがキリスト教で、熱心なクリスチャンが多いのがナポリだから
そうしてその狂っちゃったおじさんが私の前にとことこ歩いてきた。
私は疲れていて眠くてウツラウツラしていた。
するとそのおじさんが
『お前らがウイルスを持ってきたんだ!!国へ帰れ!!お前らが悪いんだ!!お前らが悪いんだ!!』
と急に大声で叫んだ。
私は剣道や剣術を25年やっているので、目の前で大声を出す男たちにはすごく慣れている。
ましてやラリってるバカなんて隙だらけだ。
なんだコイツぶっ殺そうか?と思ったのだが。
この男は叫んだら、どっか他所に歩いて行った。
そして私は眠かった。隔離期間14日あけてすぐ。眠い。とにかく疲れていた。
が、私が人種差別は容認しないとそう決めたのは今年の三月だった。
しょうがない。
見過ごさないと決めている。
ので、とりあえず車掌を探す。 告発する第一段階だ。 証拠の用意も必要だ。スマホを見る。電池切れだ。ああ・・・撮影できないから証拠を残せない。警察にも電話できない。
車掌はいない。 しょうがない。
捕まえて首を絞め気絶させるか、手首をとって骨を折ることは考えた。
バカなアニマルには体罰が効果的であり唯一の懲罰方法である。
でも証拠がないので過剰防衛はやばそうだ。
せめて、この男を車両から締め出そう。
ということで、私が乗っていた車両のドアをしめた。
このローカル電車は、車両と車両のつなぎ目にドアがあって、田舎なので当然手動。
しかも閉めるのには結構なパワーがいる。
ということで、グッと力を入れてしめた。
すると、他所の車両にいって悪態をついていたこの狂ったナポリ人(悲しいかなナポリ方言は独特だからすぐナポリネイティブだとわかる)が、私が乗っている車両のドアの前にきた。
閉まっているのを開けるのにもやはりパワーがいるので、彼は開けずにそのドアの前でしばらく悪態をついて、次の駅に停車時に降りて行った。
私は証拠が提出できないので、その時点での告発は諦めた。
私は結構マヌケで、2013年にイタリアに移住する前からすでにこのイタリアで6回は盗難にあって警察に被害届を出している。
ので、イタリアの警察がいかに何もしてくれないただの税金泥棒なのかは痛感している。
(確実に犯人が写ってる防犯カメラに録画している映像すら照会してくれなかった。役立たずかよ?)
ともあれ、イタリアの警察官(ポリツィア・カラビニエリ含む)で私の生徒の人が何人もいるので、まぁ、彼らが真面目で誠実な人たちだというのはわかっているものの。
で、イタリア語で何が今日起こったのかをFacebookに書いた。
私の1800人ほどのイタリア人フォロワーには日本文化を愛好する方がほとんどであるし、そういう人にこそ、このような人種差別について知ってもらいたいからだ。
大変だ。。。。
長文をイタリア語で書くということ。
いくら私が7カ国語をはなすと言ったって、日本語とはわけが違う。
難しい話を書くんだったらまだ英語の方が簡単だ。
だって10 年以上座学で勉強しているのだから。
イタリア語なんて自分で勝手に勉強しただけ。2012年からの8年間で。
この8年はイタリア語サバイバルだったけれども。
文法上の間違いなんて数え切れないくらい多い。
いまだに初歩的なミスをイタリア語ネイティブから指摘されるくらい。
恥をかきまくりだ。
でも、是正しないといけない。
人種差別は犯罪だ。
本当にそう思う。
許容してはならない。
もしあなたがヨーロッパに住んでいて、『アジア人への人種差別を許容しないと生活できない』という考えを持っているとしたら。
ぜひこの機会に再考して欲しい。
そう心から願う。
私もそう思っていた。
アジア人だから仕方がないと。
それは間違いだった。
もしあなたが日本に住んでいて、人種差別を受けるなんて信じられない実感がないと思うのなら。
どうか、隣国、韓国や中国の人たち、あるいは近所のコンビニや工場で働いているアジア人のことに思いを馳せて欲しい。
私たちは日本人だ。
まずもって世界のどこに行っても「私は日本人です」と言えば尊敬され大切にしてもらえる。
それは私たちの先人が世界に対して築き上げた信頼があるからだ。
世界で3位のエコノミックパワー、そして強烈なソフトパワー。
自動車やコンピューターのクオリティへの信頼、礼儀正しい国民性、武道や芸術分野への尊敬心。
それらが日本人は他のアジア人とは違うという認識につながっている。
人種差別は是正しないとなくならない。
いや、是正してもなくなってないのが人間世界の事実だ。
このことに法的・歴史的な経緯を絡めて詳しく言及し始めるととんでもなく長い話になるのでやめておく。
結論から言うと、人種差別NO、それに尽きる。
そう発言し、そう行動する。
それだけしかない。
イメージして欲しい。
ただ中国人というだけで、ただ韓国人の血を引いているというだけで、ただ他のアジア諸国の生まれというだけで差別されている人たちの気持ちになってみて欲しい。
日本語がわからない。
難しすぎる。
彼らからすれば必死で勉強しているのだ。
間違いにいちいちため息をついたり嫌な顔をしないで欲しい。
今までの私の経験からすれば、ほぼ完璧な日本語を使いこなす外国人はごくわずから天才だけだ。
中国人だから●●で×✖︎なんていうのはやめよう。
中国国籍を持つ人が一体何人いるんかなんて、最低でも12億人いるのだ。
日本が1億2千万人もいるのは結構世界的にみて多いのだけれど、その10倍、さらに国土も日本の25倍。
人権侵害や共産主義や領土侵略なんて話はもちろん許容できないけれど、
少なくとも中国人だからナントカなんて言うのは非現実的だと思わないか??
死ぬほど多いのよ。中国人。
例えば、私のたのしき友人に、トスカーナ在住のウイグル族出身の『中国人』の二人がいる。
素直で愛があって優しい素敵なムスリムであるけれど、なんと国籍は中国!! 顔も言葉もアイデンティも全部ウイグル!!で、ステレオタイプな中国人とは全然違う。
それでも、人種差別にあって苦しむことがあるのだ。
確かに、うるさい、下品、汚い、ウソつきの中国人はたくさんいる。
世界各地にいるから、それらアニマルレベルの中国人を見て、残念だけど私はそう感じてしまう。
でも、彼らが中国国籍だからといって全員がそうだと言うのは間違いだ。
ナポリの狂ったこの男に限らず、ナポリの理性的な友人や、イタリアの友人の多くが口を揃えて『中国人は嫌いだ』と言う。
しかしアニマルレベルの中国人ばかりではない。
私がシドニーの剣道場やブラジル・サンパウロ、クワラルンプールで出会った中国人の青年たちは、皆ステキな方々だった。
唾棄すべきアニマルはともかく、ただ国籍だけで人を判断するのは下品なことだ。
と、私は思う。
同時に。
あなたにそうして欲しいと頼む。
そう行動して欲しいと。
人種差別をしていないか。
国籍や人種だけで人を判断していないか。
自分の心に問いかけて欲しい。
もういい加減私たちが生きている間に地球上のクダラナイ人種差別なんて終わらせましょう。
そうしないとなと。
私は思います。