金沢八景には伊藤博文さんの別荘がある。
どんなだろう??
アポイントの前に少し時間を作って観に行ってみよう!!
ほーー!
明治時代の建築。
消費センスがステキ
門構えはわりとあっさりしている
お台所には昔のかまど
本当に、昔の人たちは字が素晴らしい。
ガラスは当時のもの。
あの頃のガラスは、小さな気泡がはいっていて、やや波打った表面。
そこが手作業の温もりを感じるところで。
松下村塾のご出身。
わたしは吉田松陰さんの人材育成に関心があり、20代前半の時に何度も山口に通ったことがある。
10年前。
吉田松陰さんの姿を想像していると、なんとも早送りの人生だった方だなとヒヤヒヤさせられる。
この伊藤邸に集まった人たちが憲法を、ここで起草したのだった。
すごい場所だ。・・・
大日本帝国憲法と、現在の憲法はずいぶん違う。
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
というわけで、天皇陛下とは?と、天皇陛下の権利などがメインになっている。
一方、戦後憲法は、国民主権ということが書かれている。
一応、当時の憲法にも
第23条日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ
と書いてある。
つまり、法律違反の悪さをしない限り、警察から逮捕されることはないと保証されているわけだ。
だが、実際は、戦時中なんてヒドイもので、疑われたら特高警察からボコボコにされたりしていた。
第25条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ
これも全く反故に。
警察にドカドカウチに上がり込まれて調べられたりしているシーンはドラマや映画でもおなじみだ。
第28条日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
戦時中はキリスト教とは迫害されていたから、全然自由はなかったわけだ。
第27条日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ
2 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
2 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
これも・・・
兵器を作るために、全国の銅像や家庭のナベなんかが強制的に供出されたわけで。
ことごとく、国民の権利が制限された根拠が『治安維持法』だったらしい。
この治安維持法というのが、ちょうどその頃の『普通選挙法』と一緒に施行された。
アメトムチというやつで。
鎖国していた江戸時代から、一躍アジアの強国にのしあがろうという明治時代。
他の国みたいに植民地になりたくなければ、それしかなかったのだろう。
もちろん裏で暗躍していた勢力もあるだろうけど。
この200年の日本を見ていると、なんだか複雑な心境だ。
うーむ
人は一人では生きていきづらい。
でも、不可能では全くない。
東南アジアの密林で何十年も一人で暮らした旧日本兵がいた。
その中に、小野田さんという方がいらっしゃって、日本に帰還されてから、ニッポンのあまりの変化に愕然とされたのだそうだ。
戦前と戦後のニッポンの違いは多分、ブラジルに移民された日系ブラジル人の方々と交流しているとよくわかるのだと思う。
私は彼らの雰囲気が大好きで、去年の夏からブラジルに通っている。
戦前はマズイことがたくさんあったから、やはり改善した方がいいことはある。
戦後でも改善されてないニッポンのマズイものは、視野の狭さだと思う。
それから、村意識。
思い出したい古くからの素晴らしいものもたくさんある。
和服文化、日本語、お茶や香りや仏教。
太古からの神々を祀ること。
武道。
小野田さんが帰国されてから、晩年取り組まれていたのは自然塾だそうだ。
子供たちの心がすさんでいることに心痛められて、キャンプやサバイバル体験を通じて、自然から学ぼうという試みとのこと。
素敵だ!
人間には魂があり、肉体の年齢と別に魂年齢というものが存在している。
だから、老人でも子供でもみんな等しく尊いし、それぞれを大切にしなければならない。
老人は生産能力がなく、子供を重視して手厚く扱おうという考えは、論理的なようで実はマズイのだ。
今、世界は大きくかわろうとしている。
戦前から戦後の変化に匹敵するほど、大変化の波の中だ。
いらないものを手放すこと。
クリアになること。
もちろん何か新しいことを始めるのもいいけれど、それよりももっと、いらないものを手放すことにエネルギーを注ごう。
その思い込みは意味あるのか?
自分はダメで大したことない庶民?
できないという思い込み?
手放せ!
偽りをすて、本来の自分を生きよ!