ここのところビデオレッスンが多い。
実際にあってのレッスンは、その方の同意のもと、シークレットで。
世間ではテレワーク、在宅ワークに切り替わっているよう。
ボイトレを生業とするソラオトは、2012年頃からこんな感じでラインやビデオスカイプを使ってボイトレを進めている。
なぜかというと、2013年の夏からイタリアに移住したからだ。
外国に住んでいても、それまでの門下生のレッスンを続けられないだろうか??
ということで試してみたら結構よかった!
2014年は、まだイタリアでの活動が軌道に乗っておらず、自宅にいる時間が長かったため、週に3日くらいは一日中ナポリの家にこもってビデオレッスンしていたな・・・
レッスンの最中に、ビデオカメラの向きを変えて、地中海の空を見せたり・・・
音声を通じて聞こえてくる、オリーブ畑を飛び交う小鳥たちの鳴き声がなんとも牧歌的で癒される!とよく言われた。
2015年からはイタリアでの活動が忙しくなり、さらにイタリア以外の国にも行くようになって、ビデオレッスンの数はだいぶ減らした。
そして今年。
外国には行けないけれど、自分と向き合う時間や、生徒さんと向き合う時間が豊富に取れる。
こっちは対談ビデオの様子。
行動範囲は狭まっているけど、そのぶん動けるようになった時の感動は高まるんだろうなと思う。
久しぶりの話題だが。
自分の心の修行も浮かび上がって来た。
他人への敬意。
関わっている友人や生徒さんをみていると、皆真面目で誠実な方ばかり。
自分には、他人への敬意が欠けている・・・
どうもズレているらしい。
敬意を表しているつもりだが、相手が怒ってしまったり、不機嫌になってしまうことがたまにある。
別に怒らせようというつもりもないし、価値観を押し付けようという気もないのだが。。
そう受け取られてしまう時は、なんとなく嫌ではある。
もとより、そのような私であるが、支持してくれて、応援してくださる方々が本当にありがたいと思う。
多分、私のやっていることというのは、結構ニッチな層に刺さっているのだろう。
ボイトレではありえない個人レッスン300万円という価格や数十万円の講座なのに、、、
別に広告出したりせず、
私自身、有名人でも著者でもテレビ出演もしていないのに、。
受けてくださる方がいることがとてもありがたい。
それは紹介してくださる方がいるおかげだ。
感謝。
どちらかというと、私の言葉を受けて気持ちいいというより、痛い辛い苦しいという反応の方が多いだろう。
私は、ただ、本音を発信しているだけだ。
飾らず、他人にどう思われるとか気にせず、ただ切り裂くのみ。
それが私の仕事だ。
ところで、他人への敬意。
ここのところお会いした方に、物流関係の方がいた。
ぶつりゅうというと、スーパーやコンビニで売っているものを運んでいる仕事。
この間、チリ産のサケの話を書いたけれど、それに関連して。
「物流が止まっちゃったら終わりですよね」
と、その方が言っていた。
雑談していたら、その方は物流会社に務める20代半ばの青年。
やりたいことがないから、なんとなく給料がいいのでその会社に就職したのだとか。
一生は続けたくないけど、とりあえず満足していると。
港の近くにある冷凍倉庫の勤務ということで、とても寒い中、ゴム手袋をはめて、重たい荷物を運んだりリフトを操作するお仕事だとか。
寒いのは苦手なので辛いそうだ。
それなのに頑張ってくださってる彼のような人のおかげで、私たちはこの状況でも美味しい食事を家で食べることができるわけだ。
彼のような真面目に勤めてくれている方々には感謝の言葉しかない。
確かに、物流が止まればスーパーやコンビニの売り物がなくなるので大混乱だろう。
ふと、彼とお話ししたあとになって気づいたことがある。
それは、私はこれまでの15年、二つのタイプの人としかほとんど接してこなかったということ。
一つは、やりたいことを追求して、それを仕事にして生きている人たち。
二つは、自分を向上させて、将来何か叶えたい夢があったりやりたいことを探していたり、何か悩みを解決したい人たち。
無意識か、意識的にか、そうだった。
まず、私自身が昔から強烈にやりたいことがあるから、それと同じような生き方をしている人たちを引き寄せるのは自然なことだろう。
国連、ビジネス、声、世界秩序の再構築。
朱に交われば、朱に染まるという言葉もあるし。
一方、二種類目の方々とは、概ね生徒さんやクライアントという形で関わらせていただいてきた。
それは、私がボイトレやコンサルを生業としているから、これまた自然なことである。
つまり、その彼のような三つ目の人たち。それは、
・特にやりたいこととかない人
・自分を向上させるとか興味ない人
・現状に不満ない人
とは、全くと言っていいほど接点がなかったということ。
よくは知らないけれども、人気のユーチューブチャンネルの話を聞くと、なんだか特に「学び」「ためになる」ということではなく「楽しそう」「ダラダラ聞ける」ということの方が重要なのだって!!
ほんまかいな・・・
( ゚д゚)
パリのデザイナーの友人も、作業中はしばしばユーチューブをダラーと見たり聞いてるらしい。
告白すると、私の中では『時間を潰す』ということにものすごく抵抗感がある。
それは、例えばバスを待つ時間とか、電車を待つ時間。
また、ダラダラとTVをつけて、横になりながらボーーっと眺めることにも激しい嫌悪感があるのだ。
他にも、携帯ゲームに熱中している人とか、パチンコにタバコもまた。
見てると軽蔑心が湧いてくる。
そういうのは個人の趣味で、性格なのだから勝手にしておけばいいわけで、ほおっておいたらいいのにも関わらず。
心の中で、それらを軽蔑してしまう自分がいる。
であるとか、勉強をしない人や、自分を高めようとしない人、好きなことややりたいことをやろうとしない人にも。
これは、私自身が、そういう個性を認めていないということだ。
反省である・・・
「そういう人はそれで幸せなんだから。家族とか自分の時間を大切にしているの」
と言われれば、まさにその通りだろう。
どんな人でも、どんな状況にいる人でも、尊重できる自分になりたいものだ。
自分を大切にするという観点からいっても、
「安心した気持ちで始めなければ意味がない」
「焦って行動すれば、結果も焦ったエネルギーに見合ったものになる」
というのは真実であるから。
今いる生徒の一人が、こんなことを言っていた。
『不安が消えないんです。好きなことを仕事にしてお金にしなきゃいけないのに、なぜか動けないんです』
これは、ある意味わたしのせいかもしれない。
なぜなら、わたしが、ダラダラして怠け者であることを心の底で受け入れてないから。
それがわたしの態度に出て、その人にどれだけ「ありのままの自分を認めるのだ」と言っても伝わらない。
前述した1や2の人が私のユーチューブやブログの読者なのだと思う。
でも、世間は圧倒的に3の人たちが多いのだろう。多分。
これからも1や2の人を対象にメッセージを発していくことになるだろう。
それも、より一層尖った、切れ味の鋭いものになるだろう。
なぜなら、それが、私のありのままのスタイルだから。
自分を偽りたくないし、私が自分を偽ったところで、どうせ本音は隠せないのだ。。
わたしは、わたしに与えられた役割を生きたいと、そう思っている。
薄めて弱まったエネルギーを発信するなんていやだ。
人は、本当にやりたいと思ったことしかできない。
そう思う。
だから、その生徒さんはこう伝えたい。
安心して、今のままでいてほしいと。
変わろうという気持ちがあるのは素晴らしいけれど。
本当に変わりたいと思うなら、まずは今の自分を100パーセント受け入れてほしい。
誰かみたいになりたいとか、誰かみたいにならなければならないとか。
そういう雑念を捨てされ!
その上で、不安を捨ててやりたいことをやってほしい。
正直言って、私も、自分ではない誰かになろうとしているところがある。
未練があるのだ。
一般ウケする、低価格で、耳障りの良い癒し系で、いるだけで安心するような人柄の人たちを凄いなと思う・・・
ホント、真似できない。
これまでの15年、なんどもなんどもそんな風になろうとしてきたことがある。
その度に失敗してきた。。。
残念ながら。
いい人にはなれなかった。
一般受けキャラでもない。
普通の企業に勤めてもたぶん1週間が限界だろう。いや、まず、私がホンネで接したら、絶対採用されないだろう。
第一履歴書が意味不明だ。
早稲田中退、国連、コンサル、営業からのボイスアーティスト、イタリア、ドバイ、イラン??
説明しても理解してもらえる自信はない。
特技がありすぎて、むしろ、一般的な仕事をできる自信がない。。
空気読めない、人の気持ちわからない、共感できない、おまけに誤解されまくるし、自分勝手だし、寝る時間も超長いし、酒飲みで遊び人で、ストイックで旅ばかりしていて、おまけに他人を軽蔑し見下しているところがある。
パワハラ、セクハラ、モラハラ、全て揃っているだろう。
お前はダメだ、とか、女だからおバカだとか、頭悪い?とか平気で言ってしまっている。
もう完全にアウトだ。。
日本人の作成する人でなしリストがあるなら、多分載ってると思う。
日本は常識や世間という規範がとても変わっていて厳しい国だから。
人を安心させることよりむしろ、心を揺さぶって動揺させて変化させる方がはるかに得意だ。
世間一般でいう誠実な人より、ペテン師詐欺師のの方がはるかに実体に即しているだろう。
おまけに平和を創るより、むしろ破壊する方が特技だ。
正直言って、感謝し尊重こそすれど、3の人たちとわかり合うことはこれからも絶対無理だと思う。。。
他人を軽蔑することの奥底には、他人を下げて自分をあげるというような浅ましい魂胆があるのかもしれない。
そんなものがあるとしたら、そういうのは恥ずかしいと思うし、手放したい。
本当に揺るがぬ自信があるなら、他人を下げようとする必要なんてないのだから。
すぐには手放せないかもしれないけど、そうできるように意識して努力しようと思う。
世界秩序の再構築が目的だから。
私は全てを見通せるわけではないし、いつもポジティブでもないし、完璧でなんでもできるわけでもないし、人並みに制限を抱えている、生理的機能はごく普通の人間である。
そうやってしているなか、誕生日の前日の夜はお酒と読書だ。
家にいる時間が長いと、アマゾンの配送のありがたみが増す。