ここは京都九頭龍大社。
この近所に一年住んでいたことがあり、よくお参りしに来たものだ。
この日は京都からの移動日。
ハライタマエキヨメタマエ
お花見をしようと来たが、すでに閉まってた(T . T)
そしてお堀の桜たち
人は成長すると、考え方が変わって当然。
変わらないのは直感や性格。
物の見方、視野は広げることができる。
今、私たちは日本から出ることが難しい状況だ。
職場にすら出られない人も大勢いるだろう。
家の中にこもっていると、フラストレーションが溜まることだろうし、かといって、外に出て、周りから非難されるのも怖い。
ふと、スーパーに行ってみると、一つの一つの商品に心が引き寄せられる。
鮭の切り身パック、チリ産。
なんのことはない、鮭だけれども。
まず命をいただくことに感謝。頭が下がる。
これだけのサイズまで成長するのにかかった手間を思うと。
そうしてサイズごとに分別され、冷凍され、箱詰めにされる。
そしてはるか遠い南米チリの港から、日本までの道のり。
チリの人たちの顔が浮かぶ・・・
1月に行ってきたばかりだから!
きっと巨大なコンテナ船だろうが、船旅は10日以上。 その船を操る船員さんたちのこと。 そのご家族の横顔。
そうして日本に着いてからは、港から加工場までの輸送。
そして、工場で加工される時、その作業員たちのこと。
出荷される前にシール張りをした人たち。
そして、店舗に輸送する人。
スーパーについてから店頭に並ぶまでに、パック詰した人。
そのお店を運営している人々。
そして、その過程のどこかに関わったかもしれない人々が、それによって得たお金で買う、その商品。
その長い道のりと、関わった人たちの姿と手間を思い浮かべると、出てくるのはたったの一言だ。
ありがとう!!
いただきます!!
どれだけ機械化、オートメイション化が進んでも。
まずその機械を作った人たちがいる。
原料の鉄を掘り出した作業員たちがいる。
その工場を運営するための電気を作っていじ運営している人たちがいる。
その電気が安定供給されるようにメンテナンスしている人たちがいる。
そしてその機会に、動作のプログラムを書いた人たちがいる。
AIが人間の手間を肩代わりしてくれるようになると、人は、それを作ってくれた人たちへの感謝を忘れてしまうのだろうか?
そうだとしたらもったいないことである。
これはきっと、縄文時代でも同じことだ。
家を作って、魚をとって、山から薪をひろって料理をするとしても。
家を作るための材木は、森が育ててくれたもの。
森は雨がなくては育たない。雨のおかげ。
自然と切りすぎないようにセーブしたのだろう。
魚も取りすぎないようにしていただろう。
今の人間がまだ気づいていないような、見落としている生物や現象もまだまだあることだろうから。
大事にしたいものである。