イタリアではアジア人に対する人種差別が蔓延している。

 

この話は日本に住んでいる日本人に「差別とは何か?」に意識を向けてもらいたいためにしよう。

 

 

私がいるナポリは、昔から人種差別が日常的に起こりやすい土地だ。

 

ミラノやボローニャ、トリノにフィレンツェといった大都会の市民たちとは随分様子が違う。

 

なぜならほとんどは元々が農民であり、人権だとか義務だとか、そう言った難しいコンセプトが頭に入りづらい土地柄なのだ。

 


つまりおバカなのである。

 


そのおバカな彼らは家族思いで、友達をとても大切にするし、陽気で心根が優しい人たちばかりだ。

 

よく食べ、よく飲み、よく歌い、よくしゃべる。

 

眠いなら寝る、雨が降ると予定を雨のせいで勝手にキャンセルする、痛いなら痛い!ムカついたらすぐムカつく!という。

 

ホンネが言葉と態度にすぐ出ちゃう人たち。

 

道路では、事故につながるような危険な急加速と急ブレーキを繰り返し、車線変更にウィンカーなど使わず(そもそも壊れてる)、ギロチンで切り落とした首の皮が一枚残ったように無残に外れかかったサイドミラーで、ボロボロのフィアットを運転するナポリ人たち。 さっき無理に追い越して車が、前方二キロのところで事故ってレッカー車を待っているということもしばしば。。。

 


ギャングもいるしいい加減な人々ばかりだけれど。

 

私はこのナポリが大好きだ。

 

 

だからこの大好きな南イタリアの人々が、アジア人をみるとさっと道をあけ、一斉に顔を見て口をつぐみ、両手で口を覆い隠す仕草をするのは辛いことだ。

 

子供も大人も区別なく、アジア人の私たちに「コロナウイルスがきた!コロナウイルスを運んできたんだろ!」と大声で言ってくる。

 


そして言った後に笑いながら、愛すべき彼らの友達や家族の元に帰って行く。

 


私たちアジア人の心が傷ついたことを知らずに。

 

このような出来事が、南イタリアのありとあらゆるところで、今この瞬間も起こっている。

 

 


そこで私たちは決心した。

 

差別を放置してはならない。

 

同じように辛い思いを他のアジア人に味合わせてはならない。

 

誰かが声をあげねばならない。

 

ノー、と。

 

私はイタリア語を話せる。 多くのイタリア人の弟子やフォロワーがおり尊敬されている。

 

だが、アジアから来た観光客はどうだろう?? 

 

当然イタリア語なんてわかるはずもなく、イタリア人から差別的な態度を取られて、きっと最悪な気分の旅行になっていることだろう。

 

本当は優しくて素晴らしいイタリア人たちへの印象が、人種差別をするクソッタレども!二度とイタリアなんてくるかよ!という印象になる可能性は100パーセントだ。

 

そうなってはならない。

 

今、止めねばならない。

 

ではイタリアに住んでいる元々アジア人はどうか。

 

イタリア語がわかっても、イタリア人と紛争を起こしたくないし、そもそもヨーロッパで人種差別なんて日常茶飯事すぎてもう慣れてしまっている。

 

そこが問題だ。

 


「差別されることになれている」とは「差別されて当たり前」という、自分自身の尊厳を無視した負け犬の考え方である。

 


自分さえ辛い思いを我慢すればいい、、、という消極的な事なかれ主義で、一体誰が幸せになるというのだろう。

 

自分の子供や家族、大切な友人や愛する人にまで、その辛い我慢を味合わせようというのか?

 

臆病者どもよ。

 

そのような負け犬は死ね。

 


 

そこで「イタリアの友人たちへのお願い」というタイトルで、メッセージを添えたビデオ(全文イタリア語)を公開した。

 

予想以上に反響があり、公開から1日で数十件のコメントを得た。

 


 

ここまでのイタリア人からのコメントを全文紹介する。

 

イタリアで何が起こっているのか、リアルが伝わることと思う。

 


 

アントニオ・スキラートさん

「ヨースケ、全ナポリ人の名に置いて謝ります。無知はウイルスよりもひどいものです」

 

エンマ・インナーコリさん

「そのヒドイ出来事が起こった教会はどの教会ですか」

 

エレナ・ルッジエーロさん

「親愛なるヨースケ、そこで起こった出来事に対して心から残念に思います。感染症にかかる危険性よりもずっと、外国人に対する無知の方がずっとヒドイものです。 私のあなたたちに対する連帯感を頼りにしていただきたいと思います。最初にお会いしてからあなたが素晴らしい人だとわかっていました」

 

カルロ・アッショーネさん

「私たちは側にいます。残念ながら無知には国境がないのです」

 

ルチア・ガルじウーロさん

「心から申し訳なく思います。私たちのまちでこのようなことが起こってはなりません」

 

アンジェロ・アルマーノさん

「申し訳ありません。私の家はあなたたちの家だと思ってください」

Angelo Armano Scusate. Mi vergogno. Casa mia è casa vostra.

 

カルミ・グリマルディさん

「なんと恥知らずなこと!申し訳ない、残念です」

 

ドナテッラ・ジェルマノさん

「あなたのいうとおりですヨースケ。あなたがいる場所は無知が蔓延している土地です」

 

ロゼッラ・パトリツィアさん

「この国にはたくさんの無知な人々がいます。差別を理解できない人と、理解したくない人です。人を見た目や肉体で判断する方がむしろ人となりを知るより簡単だからです。子供達は身近にいる大人の態度から感じ取ります。 学校の先生のような、人を育てる立場の人がそのように文化を理解しないなんて残念なことです。 現代社会は難しい状況になっており、イタリア人たちのフラストレーションの矛先が外国人に向けられたり、あるいは他のことに忙しいあまりに無関心であるかどちらかです。あなたがこの事件を社会に告発しても、残念ながら社会は少しも良くならないでしょう。 ただ個人的なレベルでそのような事件に対して対処することしかできません。 私がミラノに住んでいた頃、私のように南イタリア出身者はミラノ人から迫害され『南の田舎者は国に帰れ!!』という看板をよく目にしました。このような差別はウイルスとは関係なく起こっています。イタリア社会が抱える病理です。以前から変わらない現象です。

 

ルイージ・ジージ・メルカダンティさん

「残念ながらこの地域には無知な人がいます。しかし幸運にも中にはちゃんとした人もいます」

 

カルメン・クアッリァさん

「私も心から謝罪します。そのような無知な人々はなんて厄介なんでしょう!」

 

ミケーレ・クリスティアーノさん

「残念ながらこのエピソードはイタリア人には伝わっていません。幸運にも、全てのイタリア人がこうではないのです」

 

ルイージ・ラ・ムーラさん

「子供たちの間違いが起こったのは、教師たちの教え方が悪かったことに起因します。私が60年代に小学校に通っていた頃には、教師は『日本の人々というのは好意的で規則正しく、効率良い仕事の進め方をする人々です』と習いました」

 

バルバ・パスクワレさん

「言葉もありません。この街はあなたのための街です」

 

アルテミシア・ソアレスさん

「残念ながらこの地域には無知な人がたくさんいます。私が愛し、生きることを選んだ街ですが・・・」

 

アントニオ・サヴァレーゼさん

「残念で申し訳ないと個人的にお詫びします。このような無礼な振る舞いは許されることではありません。改めて謝罪します」

 

ルイージ・バローネさん

「残念ながら間違った情報がこのような唖然とする行動を取らせるのです」

 

サヴィオ・レンディーナさん

「あなたは私の尊敬を一心に集める人であり、最も連帯感を感じる人です。 本当にこのようなアジア人に対する差別を残念に思い、恥ずべきことだと思います。このような無知な振る舞いは間違った教育によるものです。あなたが教会で出会った教師というのは本当の教師ではありません。なぜなら本当の教師というのは、生徒に規律を教え、異文化への理解と尊敬心の扉を開いてくれる人であるからです。親愛なるヨースケへ、ダンテアリギエーリが『神曲』の中に書いた一説を贈ります。『彼らと論議することなかれ。ただ見て、去れ』」

 

ディエゴ・ザオルディエック・チェスターロさん

「なんて恥ずべきこと!人種差別主義者は恥を知らないのか!」

 

リーノ・ボナンノさん

「愚か者どもよ。バカ」

 

ファビオマンガルディー二さん

「愚か者は世界中にいます。人々の知性よりも噂に左右される人々です。断固たる意志で我慢してください」

 

バルバラ・ヴィットレッリさん

「本当に残念ですヨースケ!ニッポン万歳!」

 

サルヴァトーレ・タンブッロさん

「残念ながらここにはたくさんの無知な人がいます。が、ヨースケがいうように快適でいい土地です」

 

ジュゼッペ・ゴリンさん

「根本的に人種差別主義者だな!」

 

ベアトリーチェ・コッシオさん

「イタリア人はまだ日本人とチャイニーズを混同している!」