「日本人って、自己主張が弱くて、交渉に弱いですよね」
「相川さんはどうやって交渉しているんですか?」
私は基本的に交渉しない。
交渉など必要のない人間関係を信頼しているからだ。
お互いに信用できないから、世の中におかしなコミュニケーション論が蔓延しているのだろうと思う。
誰もが本音で生きていれば、交渉など不要である。
確かに、ほとんどの日本人は自己主張が弱い。
だが、世界各地で活躍している友人たちは、皆、自己主張がはっきりしている。
自己主張とは、自分が何者であるかを知ってこそ初めて意味のあるものになる。
自分が何者か知らぬものの主張など、ただのワガママでしかない。
本来の自分を生きている人々は、無意識にも意識的にも、仮説をたてて実証することを人生で繰り返しているのだ。
例えば、私がイタリアに引っ越した時のこと。
『イタリア中の歌劇場を回って歌や剣舞をやりたい!』
そう目標に掲げて、用意し、イタリア各地を回った。
その結果、引っ越してから3年以内にヴェネツィアやミラノ、ローマやナポリなど主要都市で500回を超える公演をすることができた。
その公演はツアー形式だったのだが、参加するとき、主催者と初めて会った時のこと。
「あなたは何ができるんですか??」
そう問われた。
私は歌と剣舞ができますと答えた。
「ではやってみてください」
ということで、試験的にステージに立った。
結果、超満員の観客の熱狂と拍手喝采。 そうして継続的にステージに立つことになったのだ。
交渉をした記憶はない。
『こう』だと思うことがあるとすると、その『こう』があっているか間違っているかを実際の行動で確認している。
その繰り返し。
だから、確信を持って自己主張できるのだ。
『こう』です、と。
なぜなら、実際にやってみて、『こう』だったからです、と。
交渉には説得力が必要である。
どれだけその主張を実証する証拠を明示しようとも、伝える本人に説得力がなければ、相手は絶対に納得しないだろう。
ほとんどの日本人が自分のホンネを隠し、自分を偽って生きているわけだが。
反対に、例えばイタリアや東南アジアでは、すぐにバレるような見え透いたウソを、なんの罪悪感もなく口にする人々がたくさんいる。
まさに『アテにならない』ことの連続である。
それは、約束やモラルといった概念のレベルが、日本人のスタンダードと大きく異なるからである。
価値観の違い。
例えば、イタリアに引っ越した最初の月に、インターネットの回線を家に引こうと依頼したときのこと。
日本のように依頼から二週間くらいかな?と想像していた。
が、日にちが経てども経てども開通しない。
工事に来ない。。。。
しびれを切らしてその業者に電話をすると、『では来週の二日に工事させます』との言葉。
なるほど、なら二日に、と思って待つけれども、やはり二日になっても来ない。
話が違うと思って再び業者に電話すると、『では十日に工事させます』との言葉。
これはおかしい??!と思って、さらに問い詰めても、同じことの繰り返し。
下手なイタリア語で聞くのは死ぬほど疲れるので、ほっておいた結果、なんとそれから三ヶ月後に急に工事業者がきて開通した。
このようなバカバカしいことが、ありとあらゆるところで見られるのがイタリアである。
経済破綻するのも当たり前とため息をつくものの、それでも日々リラックスして人生を楽しんで生きるイタリア人たちが大好きだ。
フランスでも同じようなもののようで、パリにすむある友人は、クレームの電話を入れるときは、問題が解決するまで徹底的に問い詰めるという。
そうして絶対に引かない姿勢を示し、結果を勝ち取るのだとか。
本当に緊急事態なら、私もそうするかもしれない。
さて、では、同じように『アテにならない』人でいればうまく行くのか???というと、決してそんなことはない。
日本以上に、その人が信頼できるかとても慎重に見極めることが習慣になっている。
口だけの人がほとんどであるからこそ、発言と行動が伴う人は貴重だ。
理不尽なことは外国ではしょっちゅう起こる。
ええ?!話が違う?!というように。
そんなんこっちは完全に損するだけじゃないか!!と。
そういう時に日本人は『あ、そうなんですね、、、そうですか、、、わかりました』とすぐに諦めがちだ。
これではカモられてしまうだけだ。
このグローバル時代、多様な価値観を受け入れることや外国の文化を理解することは大事だが、それよりもっともっと重要なことがある。
それは、自分の価値観をはっきりと主張することである。
感情と論理を最大限発揮して。
『おい!ふざけんなよ!!どうしてくれるんだ!無理に決まってるだろうがボケ!!』
とはっきり怒りを表現し、相手が何を言おうとまくし立てる。
この方法は、私はたまに使う。
黙ってニコニコして相手の言い分を聞くことは、大抵無意味であり、相手に舐められるだけだ。
相手がひるんだところで、しめたな、、と、今度は抑制が効いた声で、事実関係を一つ一つ並べて行く。
まず、相手が絶対『イエス』と答えることを質問する。
『イエス』を重ねることだ。
人間の心理というのは『イエス』をいえばいうほど、『ノー』だったことまでも『イエス』に変わってしまうものだから。
それでダメならダメだ。
そんな不誠実な相手とは二度と会わなければ良い。
とりわけ、日本以外では『言った』ことが『ある』ことであり、『言わない』ことは『ない』ことなのだ。
何語にしても翻訳に苦労するのは日本独特の『察する』という概念だ。
Understand without explanation
英語で言ってみれば、ああ、そんなん不可能です・・・という言葉が返ってきそうである。
そのような独特の文化は、日本の島国という環境によって育まれたのではないかという意見があるが。
では、同じように島国のフィリピンやイギリス、例えばマダガスカルやニュージランド、マルタ島に『察する』文化があるのだろうか??
今までの実体験では、とてもそうは思えない。
つまり、日本の常識は世界の非常識。
『察する』というのは高度な注意力と研ぎ澄まされた五感が求められる。
繊細な芸術や食文化を築き上げた日本人ならではのスゴイ文化だと思う。
だが、それが行き過ぎると、他人に合わせるあまり、自分の主張というものがなくなってしまうという結果に繋がっているのだ。
しかし、日本人が好きな日本史のヒーローは、自己主張の塊のような織田信長と坂本龍馬なのはなぜだろう?
自分では怖くて言えない、できないことを平気でやってのける人に憧れを抱くものである。
結局は人。
信用ということになる。
これは、一歩でも世界に出て仕事をしたことがある人はすぐにわかってくれることだろう。
だからこそ、まず、自分が所属する組織や会社というものを超えて、
『私はこう思う』
をはっきりと確立することだ。
外国では、自分を偽ってもなんの意味も利益もないので、自然と本音が出てくるものだ。
日本でも、自分の本来の性格を偽らず、相手にホンネで接する人たちは大成功を収めている。
これは当然で、ビジネスの基本は他者との差別化であって、他者との違いをはっきりと主張できなければ消耗戦の低価格競争に巻き込まれてしまうからだ。
ホンネで生きる人は、それだけで圧倒的な差別化ができるのだ。
そして、交渉など必要ないポジションを得ることになる。
別の視点であるが、すでに外国に住んでおり、自分の主張や意見をはっきりと持っている人と話していて思うことがある。
本来の自分を生きて、自分を確立している人は世界のどこにも少数だが、いる。
しかし、日本人で外国に住んでいる人の多くは、視野が狭いように思う。
隣の芝生は青く見えるものだから、自分がいる場所・時代・ポジションの利点や素晴らしさに盲目になりがちなのだ。
自分自身という本質と、徹底的に向き合うことができていない。
だから、周りに左右されて右往左往している。
目の前に見えているものは一つの事実の側面であるが、結局のところ、その事実をどう見るか?それこそが現実創造の秘訣である。
じゃあアルゼンチンペソは暴落しているからアルゼンチンでビジネスは不可能?
決してそんなことはなく、例えばソフトバンクグループは50億ドルの規模でスタートアップ企業に投資することを去年発表している。
実は、アルゼンチンはソフトウェア開発者のレベルが高いことで有名で、経済不況のおかげで人件費が下がっているからチャンスなのだ。
と、ここまで、交渉術についてお話ししてきたわけだが。
偽りを捨て、本音で生きることが最強の交渉術だということがお分かりいただけたのではないかと思う。
つまり、決して本やセミナーで学ぶことではなく、今この瞬間、一瞬一瞬をホンネで生きることが大切だということだ。
学生であろうと、サラリーマンであろうと、主婦であろうと、社長であろうと全く同じことだ。
生きることはそれだけで自己主張である。
一瞬一瞬の選択基準。
そのものが問われているということだ。
偽りを捨て、本来の自分を生きよ!!!