生まれた時には、誰が両親なのかわかりませんでした。
お父さん、お母さん?
知りません。
あったことがありません。
ただただ、お腹が空いて苦しい。
生きるためには盗むしかない。
自分が何歳かもわからない。
小さな薄汚れた布を腰に巻いていただけで。
盗みは危ないです。
大人から殴られ、蹴られ、罵倒され。
生きることなんて何の価値も無いことに思えました。
優しくしてくれる人がいたらどれほどよかったか。
インド。古代。
そんなある日、私が盗みを働いて、いつものように殴られていた時。
その日はいつもと勝手が違いました。
相手が私を殺そうと殴ってくるのです。
一打一打の重みが違いました。
痛いなんてもんじゃない。
血が流れ出ていき、もはや息さえできなくなる頃のこと。
「やめなさい!」
薄れゆく意識の中で、その声を聞いたのです。
お坊さんが立っていました。
私は意識を失いました。
私は、坊主になりました。
私を助けてくれた坊主を、ただの出来事の偶然と思えず、運命だと感じたのです。
心からの感謝。
命を救ってくれた恩人への憧憬。
あの人のようになりたいと思いました。
生まれ変わったようでした。
その坊主はダイバダッタと言いました。
体の大きな方でした。
修行を進めて行くと、まるで自分ではないかのようなことばかりが起こりました。
私が発した言葉で、人々が涙する。
さもありがたい存在かのように、さもしい私に手を合わせる方がいる。
私は大きな戸惑いとともに、大きな存在とともに生きることができる感動を味わっていました。
ブッダ。
目覚めた人。
このような素晴らしい方の元で、宇宙の真理について学ぶことができることを誇りに思いました。
このような餓鬼同然の私を救ってくださった、御仏の大きさにただひれ伏しました。
しかし、問題が起こったのです。
尼僧たち。
ブッダの弟子のアナンダの影響で、女性たちがブッダの元で学びたいと入道してきたのです。
煩悩の塊であることを、私は知らなければなりませんでした。
薄い布の下にある甘美な肉体のことを、思い浮かべずにはいられなかったのです。
御仏の教えでは、そのような邪念を持つこと自体が許されません。
私はブッダを直接に見たことが数回しかありませんので。
このような煩悩にどう打ち勝てばいいのか、どの高僧も教えてはくださらなかったのです。
苦行に走りました。
この汚らわしい煩悩を抱く肉体を戒めたかったのです。
しかし、高僧に見つかり叱責されることになりました。
ブッダは苦行を禁じている。
悟りを開くためには苦行は必要ではない、と。
私は困りました。
どれだけ瞑想を繰り返してもその煩悩をうちはらえないまま。
私は死ぬことになりました。
悟れないまま。
ああ。
どれほど後悔したことか。
ああ!
なぜ神は男と女を作られたのだろう!
どうして官能によって身を滅ぼすようなことを起こされるのだろう!
いっそのこと木の股から生まれてくればよかった!
肉体を離れ、高い次元に登るにつれ。
私の人間としての意識は遠のいていきました。
そう。
そのような感情を抱くことができたことが本当に嬉しい。
全てをあらかじめ予定して、地球に降り立ったのだということを。
地上にいた私は何も知りませんでした。
知らないことが良かった。
それを全て知った上で生まれ落ちる、ブッダのような存在に畏敬の念を覚えます。
同時に、それらの魂の崇高さに敬意を感じます。
今度はこの地球という場所に生まれ落ちることの喜びを、全身で感じ尽くそうと思いました。
それこそが神の望みだからです。
その生の中で、神の姿そのもののようなエナジィを生み出せれば。
あなたも同じです。
あなたは私と同じように、このような魂そのもののような場所から、そこに行っている。
そう、地球と呼ばれる場所へ。
あなたはいつでも思い出すことができる。
宇宙の記憶を。
それは人間の思考というものをはるかに超えたものだ。
とはいえ、それが本来のもの。
それを思うと、心が軽くなる。
ホッとするのです。
そのままのあなたで素晴らしい。
全ては神が計画して下さった計画だからです。
うまく行くようになっているということ。
人間の思考からすると、そんな言葉がなんの気休めになるというのか!
怒りすら感じるほど。
大丈夫。
あなたがやっていることには、一つも無駄がない。
あなたが感じる感情に、一つの無駄もない。
全てが必要だからある。
生きとし生けるものが、全て役割を持っているというのと同じことです。
あなたはそのままで素晴らしいというのは、絶対的な真実。
思考の声に惑わされてはならない。
親の気持ちになるのです。
あなたが赤ちゃんの時。
ニッコリと微笑んで抱きしめてくれた姿を。
嬉しいでしょう?
暖かいでしょう?
ね。
あなたは無条件に愛され、絶対的な愛で包まれているということです。