生きるということは死に向かうこと。

死は終わりのようで、次のライフサイクルへの始まり。

曰く、死の直前、周りに死神が現れるとのこと。

自分が一番見たい顔、安心する顔、心ときめく顔、様々だそうだ。

スター歌手であったり、家族であったり、なくなったおばあちゃんであったり。

そうして安心して息をひきとり、あの世へ戻って行く。

 

人間の不安と恐れの根本は死ぬこと。

死を克服するとか、死を恐れないということではないようだ。

ああ、死ぬんだなと、自覚していると自然と憂いが生まれるらしい。

お釈迦様は、出家するキッカケに、病気で苦しむ人、老人、死人を城で見たという。

そして苦行をしている時には、その苦行によって死ぬ人も見たそうだ。

ご自身も死に瀕するほどの苦行の果てに「苦行では悟りは開けない」ことがわかった。

そうして、フラフラの体で川辺に座り、乳粥に癒され、瞑想に入って悟りを開かれたとのこと。

 

孫正義さんも、若い頃に大変苦労され、また白血病で生死の境を彷徨ったとのこと。

 

人の死を感じていると、いずれ自分も死ぬ存在だということがわかる。

御墓参りでは、その故人の生前の姿が思い起こされる。

息をひきとる瞬間の静寂。

それは必ず訪れる。

 

今を生きること。

いつかという来るかわからない未来のためではなく。

今この瞬間を全力で生きること。