勉強は自分でするもの。
え?違うの?
小学生の頃から将来は世界中を飛び回って仕事をするものだとイメージしていました。
5歳頃に「世界の歴史シリーズ」という本と出会ってからです。
世界各地の様子がリアルにイメージできました。
小学生の頃は、漢字を毎日書いて新聞読んでました。
中学生の頃は、特に勉強した記憶ないです。
学校の先生から勉強を教わるのが苦手。
他の生徒さんたちの理解度に合わせて進めるからだと思うのですが。
自分のペースで静かなところで快適に独学するのがラクでした。
高校生になってから、寮に入りました。
三年間過ごすことになる舞鶴寮という名の、高校が運営しているところ。
規則正しい生活。
人間関係が難しくてなかなか辛い時もあったような。。
高校では剣道部員。
よく走って、よく竹刀を振りました。
インターハイ優勝の常連校だけに、それはそれは厳しかったです。
稽古がハードで眠くて、授業中はいつも寝てました。
寮に帰ってから2時間の自習タイム。
そこでコツコツ英単語覚えたり、古典の勉強してました。
国連事務総長になりたい。
16歳の時にそう思いました。
「世界秩序の再構築」
パレスチナ紛争の様子をテレビで見て、そう思ったのです。
そのためには、一流大学を出て、修士号とって留学して実務経験が必要。
毎日、コツコツ勉強しました。
学年で一番か二番になりました。
定期試験でどの科目も90点以上取れました。
第一希望の早稲田法学部に合格しました。
平和研究で有名な教授がいたので。
入学して、早速その教授のゼミに入りました。
院生もいて、専門的な議論ができたのですが、なんだかすぐに物足りなくなりました。
学会に関わるようになって、他大学の教授や平和活動家の外国人と関わるようになりました。
ヨーロッパの平和研究所に2ヶ月滞在して勉強しました。
その過程で自然と英語とフランス語を覚えました。
言葉がわからないとコミュニケーション取れないので。
早稲田時代は刺激的なことがたくさんありました!
マイクロソフト創業者ビルゲイツが講演会をしに来てくれました。
「フレーフレービルゲイツ!!」と、応援団の人たちがエールを送っていて、本人が苦笑いしている様子が印象に残っています。
中曽根元首相や宮沢さん、安部首相の講演会、それから元民主党の仙谷さんにも直接お話しして質問する機会がありました。
大隈講堂のお庭で、学友たちと唐揚げ弁当を食べていることが多かったです。
図書館が本当に充実していて、どれだけいても飽きない!
秋の銀杏並木が黄金色に輝いていて、ベンチでコート着て昼寝しました。
いい想い出。
国連機関の日本事務所の所長さんをご紹介いただいて、そちらで一年ほどインターンシップを経験させてもらったこともありました。
みなさんモチベーションが高くて、語学に堪能。
リプロダクティブヘルスという、発展途上国における妊産婦の支援についての話がその当時のトピックでした。
ニューヨーク本部から届くニュースレターを日本語訳して日本のホームページに乗せたりしてました。
所長がとても精力的で魅力的な方で、国連事務総長とニューヨーク本部のプールで泳いだこともあるような、楽しい方でした。
大学一年の時は福岡県の有志が運営されている寮に入っていました。
そして大学2年ほど過ぎたところで中退。
そこのつながりで、興味があった某有名コンサルティング会社に裏口入学させてもらいました。
丸の内のかっこいいビルでのビジネス!
あれにはとても感動しました。
一年間お世話になって、それから電話営業の会社へ。
そして半年つとめて独立。
声の道に入って今に至ります。
英語、フランス語、イタリア語、ペルシア語を少し、そして母国語である日本語。
どれも人から習うのではなく、自分で単語帳と文法書を買って、それにくっついているcdを聞いて覚えました。
ある程度覚えたら、その言葉を母国語にしている人と会話してスキルを磨く。
それぞれの言語の新聞をよく読んでました。
早稲田という名前は国内では抜群に有名ですが、いっぽ海外に出るとオクスフォードやハーバードとか北京と比べると全く無名。
自分の顔と声を武器にしてやってきました。
でも、そういう「在野精神」「中退したほど大物になる」というのが早稲田スピリッツでもあります。
そういう意味では早稲田らしい性格かもしれません。