変えたら、変われる。


というのが真実ではないかと思う。



「心の在り方」と「考え方」

例えばこんな意見がある。

「願いをイメージ化して毎日見直せばかなう」

「自分の希望とすることを口ぐせにすればかなう」

10年前、子供だった頃にそれを聞いて早速試してみた。

BMWに、住みたいマンションの間取りと外観の写真。

年収と旅行のプラン。

理想の家族。

「これであなたも目標達成!目標管理手帳」のような趣旨の分厚くて重たいステイショナリを買って、それらを貼った。

そして、目標とする月収とそれを達成する時の感情イメージを言語化。

それを毎朝体操しながら100回唱えた。

2キロのノートパソコンと充電器、ビジネス本+自己啓発本、ビジネス雑誌、平和関連の学術書、健康によいと言われて2リットルの水。

これらをでかいビジネスバッグに詰め込んで、毎日たくさんのアポを消化し、たくさんのセミナーや交流会なるものにでかけた。

小説や詩を読むのは時間の無駄だと信じ込んでいた。

美しい音楽を聴くヒマがあったら、自己啓発CDか英会話例文CDを聞かなけらばならないと信じていた。

人生の目標達成を至上の価値ととらえ、論理的に判断し行動するという考え方。


そんな生活が5年ほど続いた。

その5年経ったある日。

ipadが発売されたので本とパソコンと手帳を統合した。

ビジネスバッグを、ipadサイズに変えた。



それからまた5年。

その時には思いつかなかったような仕事をしていた。

その時の目標月収の2倍は達成していた。

その時には思いもつかなかった、ナポリ湾を見渡せる広い家に住んでいた。


もう、重たい荷物を持ち運ばない。

重たいものを持つのは筋トレの時と、緊急事態の時で充分。

往々にして他人は答えを持っていないし、他人は答えを教えてくれない。

他人と話していて「わかった!」ような気持ちになるのは、自分の中に既に存在していた答えが顕在するからだ。

成功哲学なるものを色々と試してみたが、ウソと本当が入り混じっていた。

本当に価値があるモノや概念を見極める「センス」が重要だ。



今の時点で「イメージできる」範囲は限定されている。

未来の時点で「イメージできる」範囲は、今イメージするものとイコールではない。

例えば子供の時には、よもや自分が離婚を経験するなんて思いもよらなかった。

まさか自分がアーティストになろうなんて、夢にも思わなかった。

海外に住むだろうとは思っていたけれど、よもやナポリとは。

逆を言えば、似たような境遇で似たような未来の展望を描いている人へは、ある程度「予言」に近い助言ができる可能性がある。



何も行動せずに変わるなんてことはあり得ない。

心の在り方と考え方が行動に表れる。

変えたら、変われる。