■大震災と全国巡業の日々

2011年3月。再び、イタリアの地に降り立った。今度は、ボローニャ空港に直接きた。
マエストロのスタジオについた。
非常にフレンドリーに招き入れてくれた。
レッスンが始まった。
「これまでやってきたことを、全部キャンセルしない限り、君の声がよくなることはない」
開始からわずか10分程度だった。
正直信じられなかった。
レッスンで、マエストロが指示してくる発声を、僕はほとんど全く再現できなかった。
何かが、根本的に違っていた。
レッスンが終わった。
「ヨウスケ、ボローニャに住んだらどうだ?」
おもむろに言われた。思ってもみなかった。
「日本でやってる仕事を、イタリアでもやればいいだろう?」
それも、考えてもみなかった。
だが、自分にそんなことができるとは思えなかった。
才能を見て、そういってもらえることはうれしかった。
近くの公園を歩きながら、自分が実際にイタリアに住んだ場合のことをシミュレーションした。
なんどやっても、うまくいかなかった。
それから数日後。
3月11日。
ホテルで朝ごはんを食べているときのことだった。
ラジオから、何やら、地震の速報が流れてきた。
ところどころ、日本、という単語が聞き取れた。
日本、地震、大事件?
Ipadのヤフーニュースをみた。
驚いた。言葉を失った。
Iphoneに、メールが数十件入ってきた。
「東京は大丈夫か?」「怪我はないか?」
そう言われても、わかるわけない。
だって、ここ、イタリアだもんよ。
こっちが聞きたいくらいだった。
その日から、チャリティ野外ライブが始まった。
ボローニャの街の中心にある、マッジョーレ広場。
「日本の大地震への募金」
そうイタリア語で書いたのぼりを小脇に立てかけた。
携帯用のスピーカーでBGMを流した。
日本の歌を中心に、毎日、歌った。
時折、カンツォーネもまぜた。
少しずつ、寄付金が集まった。
最初は、ものすごく恥ずかしかった。
下手だなと言われることや。
もしかしたら、警官にしょっぴかれるかもしれない。
笑われるかもしれない。
だけど、日本の被災者のことを思えば、なんでもなかった。
「自分のできることは、最大限にやろう」
ライブをしながら、その時、そう思った。
恥ずかしさや、失敗への恐怖を忘れた。
帰国後も、その勢いは、とどまることを知らなかった。
札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡。
全国各地に、毎月、通うようになった。
自分ができることは、ヴォイストレーニング、そして、歌うこと、朗読すること。
自分のできることを、最大限やる。
そう決めていた。
月々の交通費が20万円を超えていた。
売上もあがったが、ほとんどが出張交通費に消えた。
だが、たくさんの人と出会えた。
東京にいるだけだったら、出会えなかった人。
大変だったが、楽しかった。




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