こんばんは!
声の芸術家、相川陽介です。



こちら、京都の自宅にて。


窓に、何やら黄緑色に光るのがついてるなと思ったら、蛍でした・・・



すごい!



昨日は、東京と大阪の友人らがうちにきまして、総勢9名で大原三千院と、お世話になっている浄蓮華院を訪問し、夕暮れ時から河原でバーベキューをしました。



大騒ぎ。




浄蓮華院の多岐住職のお話を、皆と改めて拝聴すると、あぁありがたいなという気持ちになりました。




「声明というものは、本来、いかに自然の音を声で表現するのかということやねん。」



「お釈迦さんの教えというのは、決して死んだ人のためにあるわけやないんや。生きてる人に、生き様で教えたんや。せやのに、いまでは葬式で念仏唱えるだけになってるのはおかしい。」





ここ数カ月で、世界一流と呼べる人たちを、比較研究するという希なるチャンスに恵まれています。



イタリア・ボローニャのマエストロ、ミケランジェロクルティ。


仏教音楽、声明の多岐住職。


運慶・快慶の流れを汲む、京都の大佛師・松本明慶氏。


クリントン元大統領などアメリカのVIPの間で有名な、カントリーミュージシャン、チャーリー永谷氏。






巨匠たちとの出会いを、無為に流してしまうのは凡人のやること。

真っ正直に、その巨大さを体感して、なにか感じ取ったものを活かしたい。

そう思って、接しています。



せやけども、そう思って接していて、つまづいちゃってました。


それは、
「すぐ、なにかに活かそう」
という姿勢。


これは、さっさと捨てたほうがええわ、と。



これは、その巨匠らの結果しか見てへん。


その結果を出すために、どんだけ積み重ねてきてるのか。


そこを見ることやと。


んでもって、どんな在り方、スタンスで積み重ねてきたのか。




そして。



改めて、巨匠らはそうしてるけど、自分はどうしたいんや?



自分は彼らとは違うわけで。


自分は自分。


自分の命を、どう使うか。



何を表現、「したい」のか。


やっぱ、そこなんやと、つくづく思う。


それから先のことや。
何を「求められる」ているのか、は。



求められることやってたら、すなわち、世の中のニーズに応えてたら、商売はうまくいく。
だって、お客さん喜ぶし、その結果お金がはいってくるわけやから。




それに、純粋に「したい」ことだけすればええのか?という問いかけもある。


ただ、求められることをする、とうまくいくタイミングもあるし。




バランスをとることが大事なタイミングもあるし。



「したい」ことを貫き続けることが、一番大切かもしれないし。



結局は、どうしたいか、ということに尽きるんやと思う。