こんばんは!
声の芸術家です。
今日は13時から18時すぎまで、ソラオトのヴォイストレーニング事業を、よりよいものにするためのミーティングでした。
午前中と夜は、発声練習♪
今夜も、裏声によるHI-Cがでて、一安心・・・
以前のブログにも書きましたが、この高さの声、半年前は、まったく出る気がしませんでした。
いや、僕には、ムリなんじゃ?という、半ばあきらめの気持ち。
しかし、いやはや、あきらめないことですね。
色々な練習法を試して、ついに到達。
もちろん、朗読にしても、話し声にしても歌にしても、高い声だけで成り立っているわけではなく。
むしろ、全体の5パーセントくらい。
その5パーセントを聞きにきているお客さんというのは、欧米のオペラファンにはいるらしいです。
しかし、真のオペラファンは、そうではない。
ステージ、ソリストから伝わってくる文化としての完成度を見に来る。
ということを、世界三大テノール、ホセカレーラスがいっています。
なるほど。
というわけで、ここのところ、得意の低音域、中低音域の発声練習が不十分だったようで。
今日は念入りに発声練習しておきました。
使える武器も、使わないでほうっておくとさびる。
油断は禁物。
すごい声の持ち主といえば、ホイットニーヒューストンが亡くなったとのニュースあり。
冥福を。
天才というのは、薄命になりやすいというのが、どうも傾向としてあるようで。
先日、朗読させていただいた太宰治氏に関しても、芥川龍之介氏にしても、モーツァルトにしても。
精神の感受性が高すぎるゆえなのではないかと思います。
村上春樹氏が、小沢征爾氏にインタビューをし、それを本にまとめたものが出版されています。
その中に、
「音楽家や、自分のように(村上氏)ものを書く仕事をしている人間は、ある種、集中して他者をよせつけない時間というのが不可欠となるように思う。」
「無論、小沢氏のような指揮者となれば、人間関係の円滑さが公演の価値に影響されるであろうから、配慮をなされていることだろう。」
「我々といえど、人間社会に生きている以上、全く他者とかかわりを持たないことは不可能であるから、そこにはある程度の平衡感覚が求められる」
「しかし、真の創造は、他者をよせつけない隔離された時間の中で行われるというのは事実である。」
「始終いい人には、真の創造性の発揮は有り得ないだろう。」
原文とおりではない引用でありますが。
それは、本当にそうだと思います。
もちろん、世の中が、そうしたクリエイターばかりになってしまうと、バランスが崩れるでしょうから、大変。
相川は、正直、人格円満者ではないなと。
思います。
もちろん、ヴォイストレーナー業を、ちょびっとながら社長業もやっているので、人格円満でも在りたいと思うことはあるのですが・・・
もちろん、社会性を保った上で。
人格円満を装って、本当にやっていきたいことを犠牲にする人生なんてまっぴらであります。
けっこう、問題がある人間かもしれない。
批判もされるかもしれない。
声のこと、ステージのことに集中していると、妻や周りの友人への配慮がなくなったり。
そればっかり考えている。
声のこと。
スーパー人間にはなれない。
今のところ。
不器用なところがある。
まっすぐすぎて、誤解を受けることもある。
仕方がないとあきらめたくはないが、そのために歩みをとめる気には到底なれない。
声の芸術家としての人生を進み続けることに、なんの疑問もない。
仙人には、今のところなれないけれど。
それでも、いいと言ってくれる人がいるおかげで、こうして声の芸術家をやっていくことができる。
その人のために、そう言ってくれる人のために、これからも声を通じて感動を伝えていきたい。