こんにちは!

声の芸術家相川陽介です。


よく聞かれる質問に

「なぜ、いまの仕事を選んだんですか?」


「元から、ずっと声の仕事を夢見てたんですか?」

という質問があります。


HPに載せているんですが、結構読まないで質問する人がほとんどなんですよね(笑)

語るの楽しいから、質問されるのはうれしいですが。

長文だから読まない気持ちは理解できます・・・

僕は、そういうのできる限り読んでから質問します。


すっごい長いんで。語ると。

興味ある方は、読んでみてください。以下。



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「天から与えられた声を通じ、感動・勇気・癒しを伝える」

九州生まれ九州育ち。
早稲田大学法学部、勇退。


高校時代、国連事務総長になることを志し、上京。

国連でのボランティアを経て、ルーマニア平和研究所にて平和学の父ヨハン・ガルトゥング博士の愛弟子に学ぶ。帰国後、大手経営コンサルティング会社、電話営業にてビジネス実務につく。


2006年7月17日より、声の芸術家として活動開始。


世界一のヴォイストレーナーと呼ばれるエドウィン・コパード氏の個人セッション受講、昭和の一時代を築いた元NHKアナウンサー酒井広氏より朗読指導受講。また、日テレ俳優養成所にて研鑽を積む。


2010年2月現在、通算朗読会回数約300回。通算観客動員数約25000人。


また、話し声・スピーチヴォイストレーナーとして、ビジネスパーソン中心に、のべ500名を指導。T企業、美容専門学校、生保関連企業など企業研修導入実績あり。
「朗読家」で、yahoo! google検索日本一


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「相川陽介は、なぜ朗読をするのか?」


物語のお話。

僕が、なぜ、今朗読をやっているのか?

僕は、福岡出身です。
父親は新聞記者。
母親は専業主婦。
姉が一人と、弟が2人います。

小学校4年生くらいから剣道をはじめ、高校卒業までつづけました。一応、2段です。
僕の力ではありませんが、福岡の母校の剣道部は、

インターハイで優勝したり上位入賞したりする、超強豪です。(僕の力ではない・・・)

練習、はんぱじゃなかったです・・

中学校も実家も、当時長崎だったので、高校からは

、高校の寮に入りました。

男子校の寮。

はんぱじゃなかったです・・・

はぶられて、一人、部屋で泣いてることもありました(笑)


高校に入ってからは、

「検察官になる!必ず、中央大の法学部に入学する!」


と意気込み、ひたすら勉強しました。
加えて、毎日の苛烈な剣道の練習。

道場→教室→寮→道場→教室→寮の生活。

もうやりたくないでーす。

ひたすら3年間続けた結果、なんと、早稲田大学の法学部に入れることになりました!
ガッツポーズを覚えています。

卒業文集の表紙に書いた言葉は、

「日本初 国連事務総長 相川陽介」

でした。
高校卒業時には、
「地上から、貧困と戦争をなくしたい」
という夢になっていました。

「それができるのは、うーん。国連事務総長じゃん??」

と、単純に想い、そう思うことにしました。

当時から、行動派です。

東京に、国連関係のお偉いさんが来ると聞いて、高

校さぼって、夜行バスに乗って、上京。講演会に参加。
ところが、全部英語で、さっぱりわからん。。。
ということもありました。


いざ、東京にでると、楽しいことだらけ。
で、また、男子だけの寮に。

結局その寮には、1年間丸まるいました。

飲み会飲み会で、僕は、飲み会というものが大嫌い

になりました。いまだにそうです(苦笑)

なんか、わけのわからない、上下関係も、大嫌いです。


「地上から、貧困と戦争をなくすには、どうすればいいんだろう?」

それで、まず、政治関係の勉強をせにゃあと思い、

政治系のサークルを歩いてみました。

ちょっと合宿に参加させてもらったりしましたが、

自分とは全然合いませんでした。

その頃、ある政治サークルの国会見学ツアーに参加

したとき、一人の元気な男に会いました。

田中大輔という、大物です。

その彼に、あるNPO法人を紹介してもらい、そこで、

コミュニケーション・リーダーシップのセミナーを

受講しました。

「こ、こんなにおもしろい勉強があるなんて・・・」

というのが、当時の素直な印象です。


そこで教えていたのは、神経言語プログラミング。

NLPと呼ばれる学問です。
カラダの使い方や、言葉の使い方一つで、感情をコントロールする話や、決断の話、健康の話など。

かちかちのアカデミックな勉強に集中していた僕には、超新鮮でした。


その時の、セミナー講師というのが、
「鈴木惣士郎」さんです。

それからの付き合いですので、かなり長い付き合いになりますね。

その後しばらく、そのNPOの活動にはまり、司会を務めたり、イベントの統括を勤めたりして、楽しく活動しました。

やがて、

「自分でも団体起こしたい!」

という想いが強くなり、
「エアポート」
という、国際交流パーティを主催する団体を立ち上げ、いくつかのパーティを成功させました。

が、あっけなく、解散。

僕が、メンバーを大事にしなかったため、瓦解・・

貴重な学びをありがとう、でした。


その活動と同時並行的に、広告代理店でのインターンシップや、コンサルティング会社での勤務、国際NGOでの活動や、国連機関での活動など、幅広くやってました。

カラダが何個あっても足りませんでした・・・


「地上から、貧困と戦争をなくし、再発を防止するには、どうすればよいだろう?」


という問いの答えは、まだ見つからなかったです。

そこで、その問いの答えを探求するために、

「平和学」

という学問を研究し始めました。

とても新しい分野の学問で、平和を、心理学や政治学、経済学、人類学などの切り口から説明する、お

もしろい学問です。

その平和学の父と呼ばれる、
「ヨハン・ガルトゥング博士」
が、たまたま、日本にワークショップを開催しにやってきました。

そこから、氏との交流がはじまり、氏の後継者である「カイ」という男性を紹介してもらい、
ルーマニアの平和研究所に、日本の代表として研修に。

2ヶ月間の時間に、一つ、自分なりに気づいたことがありました。

「平和とは、共感する心なんだよ」


ということです。

研究所の所有する、古今様々な平和関連の文献を、連日連夜読み漁り、マインドマップにまとめたり、

レポートメルマガを書いたりしましたが、

「平和とは、共感する心なんだよ」


と、「カイ」はいいました。


「あっ・・・・そうなんだ・・・」


と、当時の僕は思いました。


「絶対変えてやる!戦争が起こる仕組みなんて、変えなきゃだめだ!おれがやるんだ!」

って思って、肩張ってたのに、


「平和とは、共感する心なんだよ」

って。。

なんか、脱力感を感じながら、帰国してからの僕は

、目標を多少失っていました。

「共感する心。だとしたら、僕は・・・」

そんな頃、大学の試験が差し迫ってきてました。
でも、僕は、全然勉強に身が入りません。
結局、加速学習という最新鋭の学習システムを活用したにも関わらず、ほとんどの単位を落としました

それで、

「別に、大学の卒業資格なんていらないや。人脈なんか、必要ねぇ!」

なんて思って、早速退学届けを書きました。

ががが、両親に反対を。
結局、休学させてもらうことになりました。


その頃、
「僕は、起業する」と心に決めました。
神田昌典さんや、船井幸雄さんの本から強く影響を受けていた僕には、ビジネスで成功するのが、とても魅力的に見えたのです。

その決断をしたのは、確か、11月の寒い日でした

4畳半の、ちょっとかたむいた和室で、このPCに向かって、決意を書いたことを覚えています。
家賃が29800円。新宿区の早稲田でです。
トイレ共同。風呂なし。
キッチン共同。
彼女といちゃついてると、建物全体が揺れるので、とても気を使いました。。。


ちょうどそのころ、疎遠になっていた、鈴木惣士郎さんと再び会う機会をいただきました。

「どうしたい?」

氏は問います。
「いやあ、起業したいです。」

「どうしたい?」

氏は問います。
「本当のところ、何がしたいんだろう?わからない・・・」

そのとき、氏に言われたのが、

「まず、自分を大事にしてやりな。好きなことを、ちょっとづつやることだよ」でした。
手帳だけもって、好きな服を着て(僕の場合、タイトなスーツ)、スタバのバニラフラペチーノ飲んで、ステーキ食べて、新宿の超高層ビルのバーラウンジにて、ゆったり。

そんなことをやりました。

起業に必要なスキルだろうと思い、電話営業の会社に就職しました。
半年間の短い間でしたが、朝から晩まで、一日200件近い電話をかけました。

かけては断られる。
かけては断られる。

商材の単価が、350万円とかだったので、そりゃそうです。

ひたすら電話をかけつづけました。

新入社員の90パーセントが、1週間で辞めるくらい、大変な仕事だったようです。

また、成果を挙げられない人は、ひと月で、背中をたたかれます。
「辞めてもらえるかな?」
です。
怖いでしょ。

でも、そこで、超絶的なスキルをもった、営業マンから、マンツーマンで指導もしていただける幸運にも恵まれました。


電話一本で、ウン千万が、本当に振り込まれてくる。
すごい世界です。


結局、やめさせてもらいましたが、非常に貴重な体験を得ることができました。


会社を辞めて、しばらくして、いろいろなビジネスプランを練っては捨て、練ってはすての、試行錯誤を繰り返しました。

「うーん、どうもピンとこねぇ」

というのが正直なところでした。


そして、運命の、7月13日。

声の芸術家、相川陽介が生まれた日です。


個人事業主の集まりの、
「創志塾」
というのが当時ありました。

現在はありません。


その場で、グループコンサルティングをしていました。

「あいちゃんはさ、何がしたいんだろうね?」


「そうっすねぇ、好きなことは、プレゼンテーションとか、読書とか、旅行とか・・・・」


そんな感じで、話が進んでいきます。

「夢は・・・・」

「だいすきなことは・・・」

「やりたいと思ってることは・・・」

等を話しました。

するとね、

「それさ、がまんしなくていいんだよ?」

という、言葉をもらったんです。


「がまんしなくていい・・・?あぁ、そう、なんですね・・・」


涙があふれたんです。
こんな、なんじゃこりゃ。
涙がでとる・・・

という感じでした。

心の中に、ずっと、ずっと、ずっと眠っていた望みが、
「無理だ」
という気持ちで眠らされていた望みが、解放されたのでした。

「僕は・・・・朗読がすきなんです。

小学校の頃、大好きだった。
でも、そんなんじゃ食っていけないと思って、あきらめてた・・・・

舞台で表現したい。大勢の人の前で、最高の瞬間を味わいたいんです。

あぁ、あぁ、あぁ!!
やっときづいた!ずっと、がまんしてたんだ・・・」


解放された気持ち。
それを手助けしてくれた仲間とは、死ぬまで親友です。
死んでも親友です。

こんなわけで、僕は、現在、朗読に、命を懸けて取り組んでいるのです。

冗談じゃないです。

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あなたがこれを読んでくださったことがうれしいです。

この文章を書いたのは、声の芸術家としての収入が乏しく、厳しい時でした。

自分に言い聞かせるように、書いたのを覚えています。

この文章には、スタートするまでが書かれています。

実は、それからのストーリーが文章になり、今まで300名くらいの方にお読みいただいています。もし、あなたが、お読みになりたいということでしたら、お送りします。

問い合わせページから、「後半希望」と書いて、送信してください。


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