2015年8月には、2つの法要を通じて頭のてっぺんが開いたり精神が遊離しかけたりと、肉体とエーテル体に直接作用する出来事がありました。今回はお話しませんが、実は他にも印象的な出来事がありました。

 

その約3ヶ月後ということになります。

 

 

 

 

椅子に座ってPCで何かを調べるか読むかしていた私は、ふと子どもの頃に大好きだった森の入り口の木を思い出していました。学校から帰ると木を抱きしめてただいまと声をかけていたあの木。大きな木を、小さな私が守っているつもりでいたのです。私たちは友達でした。

 

目をつむって木肌やら感触を思い浮かべていると、頭の上から黄金のはちみつ色に輝く光がシャワーのように降ってきました。

 

 

はちみつシャワーは日々の祈りの時などには決まって降り注ぐものでした。最初は頭の上から落ちてきては体の表面をキラキラと流れ落ちていく軽やかな光だったのですが、次第に体の中にも流れ込むようになっていました。そして、この日のたしか1週間前くらいから、一日中注がれ続けるようになっていて、全身あちこち常にくすぐったくて、肉体と空気の境目が少し曖昧になっているような感覚を覚えていました。

 

 

木を思い浮かべているときにはちみつシャワーが、最初はシャワーのようにやわらかだったものが次第に蛇口のように、滝のように、量と濃度が急激に勢いを増してきました。

 

これはちょっと尋常ではない。。。そう感じた私は背筋を伸ばし神の姿勢を取りました。神の姿勢とは瞑想の際の姿勢で、椅子に座って背筋をのばし、腰と膝を90°に曲げた姿勢です(つまり、姿勢よく椅子に座っているだけです)。起きていることに身を委ねるためには、耐久力のある姿勢である方がよいと判断したのは正解でした。

 

そして、孫悟空の輪っかのあたりから上がカパッとはずれて頭蓋骨がなくなったような感覚になり、光の滝が直接、大量に流れ込み始めました。この間ずっと目をつむっています。

 

額の生え際中央のあたりと、両眉の上のちょうど黒目の上あたりと、3点が発光しはじめました。ああ、ここ光るんだ、ここが△の頂点なんだ、などとこの時まではまだ冷静でした。

 

その間もずっと光は滝のように直接頭に降っては体内に大量に流れ込み続けています。

 

 

つらつらと書いていますが、はちみつシャワーの量が尋常じゃないと感じてからここまでおそらく数十秒というところです。

 

 

 

突如、光が逆流。

否、光というよりは巨大なエネルギーの塊が下から上へと昇りました。

 

チャクラで言ったら1から7を一瞬で貫通したようでした。直後、メラメラと燃え続ける炎の如く、螺旋を描く無数のエネルギーが駆け上がります。

 

この時はすでに冷静さとかそういう問題でなく、肉体が消えたと思っていました。起きることに身を委ねる覚悟ができていたので、ひそかに家族に分かれを告げたほどです。大げさでなく、肉体を構成する細胞のすべてに黒い点が1つずつ入っていて、その黒点のすべてが昇華していくのを感じました。続いて、細胞もシャンパンの泡のように光としてはじけて消滅している感覚があったのです。黄金のはちみつ色のシャンパンですね。

 

メラメラと上がり続ける炎。泡のようにキラキラと消えた肉体。

 

段々と炎が少なくなってきて、やがてすっかり上がる炎がなくなっても、しばらく目を開けられないでいました。目を開けたら本当に体が無いような氣がして(目をつむっている感覚はあるのに)。おそるおそる目を開いたら、肉体はありました。輪郭は曖昧だったけれど、まだ生きていました。それが不思議でならないほど、エネルギーの流入と放出はすさまじいものでした。

 

 

 

落ち着いてから時計をみると、せいぜい15分くらい。

15分で世界が一変しました。

 

こんなことがあってから約1ヶ月は、風景の見え方が違ったり、問いと同時に答えを得たり、地球のあらゆる事象に感謝したりと、本質的な自分でいられたように思います。 

 

 

 

 

これは、私が体験した神秘体験の一つです。

 

この時にわかったのは、ヒトの天蓋を開くのは自力ではできないということです。7チャクラと呼ばれる頭の上の蓋は、外から開くしかないようです。そのためには心身を浄めておく必要があります。それは自分自身の修練です。

 

 

 ざくろ