今・ここ
に留まる、集中する、というメソッド(というほどでもない)は今も流行っているのでしょうか。
イマココに留まる必要がある場合もあります。
でも、
それはあくまで通過点で
探究の初期段階で、ウロウロしながらどちらを向いたらいいか模索しているうちに、自分はいつでもどこでも一点に留まっていて、周りの景色が後や前に飛んでいく感覚に氣づきます。
この時、「イマココ」な悟りを得たような体験をすることになります。
おーなるほど!!とAHA ! 体験のように一つ氣づくと、全部がわかったような氣になるのが探究の落とし穴です。しかしながら落とし穴というのはその平面における真実でもあるので、間違いというわけじゃないし、かといって正解でもゴールでもありません。
次の平面、またその次の平面と、先へ先へと進みたいならば、どんな氣づきであれ「これこそが究極の真理」などと思わぬことです。
「イマココ教」は、心地よさと安定感で人をその平面にとどめてしまうという裏の顔を見せぬままに流行したように思えます。
得てして、次の平面というのは、その前の平面とは視点がまるっきり逆になるものです。イマココ教の平面に至るまでは、必ず探究のためにあてもなく彷徨う体験をしています。その期間はとにかくがむしゃらに止まらず進むことが推奨されます。探し物をするところから、探しものはここにあったと氣づく青い鳥現象が起こると、イマココ平面に到達できた目安となります。
ひとしきりイマココの心地よさと安定感を楽しんだら、次へ行きましょう。
次の平面へとコマを進めるためには、イマココを捨てる必要がありますので、無理にとは申しません。好奇心があなたを急き立てるならば、目指してみて下さいね。
門を通過するのかしないのか
イマココ教をたとえにしましたが、なんにでも言えることですよね。
一つの世界を否定しないと先へ進めない。
殻の中である程度育ったら、自分を育ててくれた卵の中という環境を否定=破壊して、殻の外の世界に向かいます。そうしなければ生まれることはできません。
ある程度生きたら、肉体を否定=捨てて、肉体という物質世界から脱出します。そうしなければ死ぬことができません。
どこか一ヶ所に留まりたいと思っても、それはとても不自然なことなんですよ。否定から次の世界の生が始まります。生きるならば、何度でも殻を脱ぎ続けるしかありません。
あなたはどう?
わたしは脱皮し続けます。
ざくろ
※平面
感覚的に捉えると平面という表現がぴったりなのですが、わかりにくかったら他のものに置き換えて読んでください。ある平面と別の平面は、どの地平線でも決して交わることがなく、でも同時に同じところに存在しているオブラートのようなものだと思ってください。
※ヒトが筒にみえてるざくろにとって、この無数の平面(オブラート)を筒が貫いているように視えています。
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