海を見たのは何時だろう | ウオッカのブログ

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ちょっと電車に乗って旅行気分を味わいながら、窓外の景色を眺め、シートにゆったりと身体を預けているときに、遠くに行けば行く程、待っていると期待している楽しみに心が踊るのだけれど、駅に着いて一歩ホームに降り立つと、いつものように足早に目的地へと向かってしまう。

どうも良くない習慣が身に付いたようで、目的地に向かう途中の寄り道等は全く眼中に無くて、一旦は荷物を置いてしまうまでは猪よろしく、真っ直ぐしか見ていないところが憐れであったり、滑稽ですらある。

行く先々の自分は、その土地の人達に甘えるように、道を訪ねたり、ちょっとした挨拶や、話し掛けられた返事に対して少しばかり長い話しで返したりしている。

東京駅に向かって上りというように、自分は海側をいつも針路の上として位置を考え、街の中を歩くときも、駅と海と自分の位置だけは頭に入れて歩いている。

そんな、海に対する思いがあるのかと考えたが、海を見るために海に行くことも無く、最後に海を見たのはいつかも思い出せないくらい疎遠になっているのに、いちいち気にしているのが可笑しい。

毎日が同じようなことの繰り返しが、波が寄せては還すのに似ているからだろうか?


先日行ったところは普通の街なのだが、白昼夢を見ているかのような気分に陥った。

厳密には、見たことがあるというのとはちょっと違って、自分はこの場所にいることに違和感も、距離感も消失したような気分になったのだ。

通り過ぎる程度の時間しか滞在しなかったのだが、そこに住んでいる自分を想像して、いつもの場所といった感覚に陥る。

そのときは、海の位置を忘れて、背中側にある筈の駅がかなり遠くに思えた。

そこに自分はまた行くのだろうと、何故か確信に近い思いを携えて帰路に着いたのだった。