みなさん、おはようございます、ひきがやです。

 

さて、昨夜のブログ「おんぼろハウス」の件で思ったのですが昔、組合に在籍してた時に月1で通ってたオシャレ好きな少しヤンが入ってた年下の入居者に「今朝、主の事を天国ノートに書いてあげましたから♪」って少し奇妙な事を言われたのですが、ほんま、このノートって天国ノートかもね…。

(一応、最近はノートに文字起こししてからブログに打ち込んでます)

 

書かないより書いて貰った方が絶対にいいヤツでしょ…。

 

主的な感覚で言うならあの世で閻魔様の前で言うより、このブログに書いて貰った方がどんなに楽な事か…。

 

ほんま、この世の地底の地獄より天界の地獄の方が絶対に怖いと思うよ…(>_<)

 

さて、今朝の前振りはこの位にして今日は少し主の幼少期からのお話をしていこうと思います。

 

昔リーフの職場に書き込みをしてた時、明らかに向こうの方が「ヤバイ!」って感じる書き込みがあって、それは幼い頃ずっと左斜め上の空に向かって「ポケ~」って考え事をしながら眺める様な癖が抜けなかった事です。

 

しばらく大きくなるまでその癖は抜けずに両親はわりと心配してました。

 

今思えば「何をすればいいんだっけ…?」って考えてたのかもしれません…。

 

 

過去のブログでも書いた様に主は本当に身体が弱く…でもそれは五條さんが言うには敢えて全ての才能全てを奪ったという事だったけど…まぁ…目立ってしまった人って全てレプ公軍団によって刈り取られいますしね…。

 

それで主の生い立ちですが、幼少期の頃はサクランボの保育園と光の幼稚園に通ってました。

 

光の時代は一応キリスト教でしたが当時のジャングルジムと滑り台が一緒になった遊具の上からジョウロで雨を降らせた遊んでいて女の先生に「なんで頭を濡らしてきたの?」の問いに「雨が降った~」って言ったら凄い殺意にも似た感じで突然、タオルで顔中を覆われて頭をふかれた情景が今でも脳裏にこびりついたいます。

 

 

 

小学の頃の低学年の頃の先生は女の先生ばかりで、体罰を与える先生が多かったです。

 

2年生の頃だと思うのですが主が拭き掃除をしてたら、突然ほうきの棒で頭を叩かれたのも強く覚えてて3年か4年の頃の女の先生は「ゾリ」って言う小さなゲンゴツをよくされて、それはずっとその後の友達の中の間でも流行りました。

 

そしてその頃の主のあだ名は「デメキン」「カビ」でした。

 

でもそのあだ名って今考えてみるとヤバイヤツですよね…。

 

デメキンの様に何でも見えてしまって、カビの様に何でもくっつけてしまうんですよ…。

 

ほんま、この「エイジプロジェクト」って凄すぎますよね…。

 

でも高学年になれば面長の顔立ちになって「馬ずら」って呼ばれてそれで「馬」ってあだ名を付けて貰いました。

 

それは本当に強いレッテルのあだ名でした。

 

ハマジ君には本当に感謝です。

 

そんな感じの小学生の頃だったのですが、5、6年の頃には「弁論大会」と「演劇」で少し目立ってしまいました。

 

目立ってしまったら必ずハマジ君に注意のイジメをされてたのかもしれません…。

 

中学1年の頃と合わせて本当に感謝してます。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

少し話題を中学1年の頃の話に変えますが、当時の主には実は好きな女子がいました。

 

でもそれは、いつも一緒に遊んでた当時のバレー部の友達が好きだと言うから主も好きって感じによるものだったと記憶してます。

 

それは当時の校庭にある男子バレー部の正面にある女子バレーのコートでバレーをしてる主と同じ漢字の名の女子バレー部のエースAKIさんでした。

 

 

 
 
 

その女性は母の実家の近くの地区から引っ越してきたみたいで中学のすぐ近くに自宅はありました。

 

その頃クラスで何かの話し合いをしなければならなくて、AKIさんの家にクラスの人達と遊びに行きました。

 

当時の中1の主は同い年の女子の部屋に入るのは、はじめての経験で少しドキドキしながらお邪魔した記憶があります。

 

そこには当時大ヒット映画だった「時をかける少女」のポスターが貼ってありました。

 

 

 
 
 

話し合いみたいなのも終わり帰る頃になったら、一緒に居た女子が良いって思ってる異性の名前を伏せて書いて投票しようって話になって、なんと主が1等賞を獲得しました!

 

当時はAKIさんも投票てくれたのかなぁ…って思ったら嬉しくなりました。

 

その頃の女子バレー部はとても活気があってAKIさんはスポーツ万能で…主の方はと言うと部長なのに身体能力は低くく、男子バレー部は人が少なく皆さんやる気も無くて…いつも主は女子バレー部のコートは男子バレー部の正面だったのでその方向を恨めしいそうに眺めていました。

 

いつか、台風で壊された男子バレー部のコートを1人で直そうとして、それで左手中指を挟んで大怪我をして指の少しを無くしたって経緯です。

 

クラスの猿君が「もう1度指を詰めてやるぞ!」って悪口に対してエネがとても殺気だった目で猿君を睨んでたのも書き加えておきます。

 

エネはエネでただもんじゃないよ…マジで…(>_<)

 

そして指に包帯を巻いて男子バレー部のコートの前に座ってたら女子バレー部の顧問の先生が「どうした…元気か…」って声を掛けてくれました。

 

女子バレー部の顧問の先生は熱血な先生でマクドナルドの店長をしてたそうですが、どうしても教師になりたかったみたいで教師になったみたいです。

 

 

 

主はバレーのAKIさんには少し悪い気持ちがあって…。

 

それは高校総体の最後の試合が終わった時、県大会に行けずに落ち込んでいたらバレーのAKIさんが中1以来、話し掛けてくれて…。

 

それはAKIさんにしてみれば気軽に話し掛けてたつもりでも、本当は凄く勇気を出して声を掛けてくれたのかもしれません…(泣)

 

主はAKIさんに対して常に劣等感しかなかったのと、県大会に行けなかった落ち込みと、当時は女子と話すのがとても苦手な男子だったのでシカトみたいにしてしまいました…(=_=)

 

社会人になられからは、いつか森君から教師になられてご結婚もなされたお話を伺ったのですが、教師の方は生徒のイジメが酷くて退職なされたと聞きました。

 

どうかこれからの人生もたまには中1当時の事を思い出したり、たまにはブログをご覧になられて、残りの人生を謳歌なされて下さいね。

 

今朝はこんな感じで終わりますがこれが多分、最後のAKIさんです…。

 

また、次回でお会いしましょう~(^O^)/