モヤモヤすっきりハッピーセラピスト*どんとこい三宅です。
今の私がいるのは、これまで出会った全ての人達がいてくれたからです
その中で、幼稚園、小学校、中学校それぞれに思い出深いキーパーソンとなる先生がいたので、当時の感謝と、自分も先生達の様になれたらという想いも込めて、書いていこうと思います。
《小学校時代》
小学4年生から6年生までを担任してくれた和田先生は、私が4年生になった春に、ケニアの日本人学校から転任してやって来た女の先生です。
誰よりも元気で、運動会の応援なんかは手がちぎれる程に力一杯応援してくれる、白髪混じりのベテラン先生。
「マサイ族の挨拶は『ソバ!』『ヘバ!(今調べたらイーバ!だった)』だ」とか、ケニアでの生活など普段聞けないお話をたくさんしてくれました。
ここでもう1人出てくるキーパーソン、幼馴染のS君。
彼とはよく遊んだりしていたのだけど、周りの子で少しずつS君と一緒に遊ぶ子が減っていくのが気になって、4年生のある日、和田先生にそのまんまの疑問を伝えました。
今思えば、S君は自閉症。でも小学生の私にはそんな知識も無く。
(全般的に自閉症だから遊ぶ子が減るとかそういう意味ではありません。あくまでこのケースはそうだったということです。)
当時はなかなかデリケートなこのお話。
先生はどんな風に答えてくれたと思いますか
子供でも分かるように、噛み砕いて
オブラートに包んで
いえいえ。
先生は、包み隠さず障害の話をしてくれました。
今は個人情報やらなんやらで、そんなこと話してくれないよねきっと。
そして私にこう言いました。
「S君の表現方法は、お友達にとっては『自分と違う』と思うようなことがあるかもしれない。『みんな同じ』がいい人は、もしかしたら離れていくかもしれないね。だけど考えたり感じたりすることはみんなと同じなんだよ。美香(私)が一緒にいて楽しいと思うなら、これからもS君と楽しいと思えることをしたらいいよ」
S君を卑下することはもちろん無く、離れて行った子達のことも悪く言わなかった先生。
そこから私はどんどん興味が湧いて、
「S君は、中学校は同じ所に行けるの
」
「高校や大学は
」
「大人になったらお仕事一緒にできるの
」
と、たくさん質問をしました。
もっとS君のことを知りたくなったんです。
先生は、全ての質問にきちんと答えてくれました。
それで、先生のお話の中に出てきた「施設」という言葉(たくさんの選択肢の1つとして施設があるということ)を聞いた途端、私の中にビジョンというか道というか、ドドーンと見えて、
「先生、私、その仕事するわ」
って言ったんです。
「したい」じゃなくて「する」って言ったのをよく覚えています。
それからは導かれる様に、当たり前の様に進学し、大学卒業後に知的障害者施設に就職。
その分野で結婚までの10年間、天職だと思う程に濃い時間を過ごすことができました。
あの時、和田先生が10歳の私の質問にきちんと答えてくれたお陰で、私は天職に出会うことができました。
そして、今のアトリエmeknowをしていく上での私の想い、心掛けも、和田先生に大きく影響を受けています。
先生、ありがとうございました
和田先生とは、今でも年賀状で近況報告をし合っています
お次は中学校編。お楽しみに〜
