早産とは、妊娠22週から36週までですが、

妻の場合は早産ギリギリの23週での入院でした。


とにかく少しでも長くお腹の中にいてもらうことを

祈るばかりでしたが、正産期まで14週もあり、

気が遠くなるばかりでした。


担当医師からは、おそらく産まれる時が退院という

雰囲気の事を言われていました。

人によっては一時退院もあるそうですが、

すでに子宮口も広がっていることから、

一時退院することは難しいだろうなと思っていました。


そもそも、いつ産まれてくるかわからないような

状況ですし、先のことを考えるのは、やめることにしました。


ただし、目標を定めるのはとても重要なことで、


・網膜症の可能性が減る28週

・脳性麻痺の可能性が減る30週

・呼吸器系の問題がなくなる34週


をとりあえずの目標としました。


28週でも1ヶ月以上という気の遠くなるような時間でしたが、

ただ「もう1日、もう1日」と考えるよりも、

明確な目標を定めることは、精神衛生上も

とても良くなりました。


体重についても、週数に応じた標準体重がありますが、

以下のような数値を参考にしていました。


23週  593g
24週  700g

25週  816g
26週  940g
27週 1076g

28週 1222g
29週 1377g
30週 1543g
31週 1719g
32週 1904g
33週 2096g

34週 2292g
35週 2485g

36週 2676g


実際、エコーでは体の大きさからだいたいの体重は

わかりますが、実際に産まれた時には誤差もかなり

生じるとのことです。(ちなみに私の子は35gの誤差でした)


入院生活で妊娠糖尿病の食事制限もあり、

標準の体重には程遠い成長曲線でしたが、

それでも、お腹の子がどれだけ小さいのかを

知っておくのは大切だと思います。


エコーでは、内臓の機能が正常か、

浮腫んでいないかなどもわかるので、

体重云々よりは、ちゃんと機能が組成されていることの

方がずっと大事だと、担当医師からも言われました。


ちなみに、エコーで見える顔がツルベみたいな

顔でしたが、生まれた後にベビーモニタを買った

ところ、暗闇で映る顔がまさにツルベで面白かったです。

実際の顔は全然違うんですけどね。

カメラのレンズの影響なんですが、不思議ですね。








入院後、毎日NST(ノンストレステスト)による

胎児心拍数と子宮の収縮具合のモニタリングが行われました。


通常は30週を超えて、臨月が近づいた頃から

開始するそうですが、妻の場合は24週から開始となりました。


数十分から1時間程度モニタリングし、

胎児心拍数が110~160くらいの正常値であるかどうかを

確認しました。


子宮収縮は最大値が100で、実際に陣痛の際には

1分間隔で振り切れる状態になります。


妻の場合は、通常は10~20くらいで、高いときには50~60に

なることもありました。お腹の赤ちゃんは生まれる準備ができて

いないのに、母体の方が出産の準備に入ってしまっている、

そんな状態でした。

モニタの数値は妻からは見えない場所にあったので、

妻にはあまり心配をさせないように、この時は黙っていました。


そんな中、入院7日目、妻はMFICUに移動となりました。

初めて聞いた言葉でしたが「ICU」という言葉もあり、

予断を許さない状況と感じました。


実際、MFICUは、切迫早産等のハイリスク出産に備え、

24時間体制で医療スタッフがいる集中治療室です。


通常の個室ですが、目の前には分娩室、産まれた赤ちゃんを

すぐに運び込めるように小児治療室にも繋がっていて、

いざという時にも母子ともにすぐに対応できるような場所でした。



MFICUでの生活は絶対安静のまま変わらず、

トイレとシャワー以外はずっとベッドの上でした。


毎日、子宮口の処置(ステロイド)、医師による診察、

NSTによるモニタリングを1日2、3回、定期的な看護師による

チェック等、万全の体制でした。また、助産師さんによる

心のケアも行われました。


いつ産まれてしまうのか、とビクビクする思いと、

スタッフに24時間囲まれている安心感が交錯する

非常に不思議な空間でした。


おそらくNSTの数値が高いことから、

早産もあり得ると判断しての部屋移動だったと思います。


ただ、絶対安静と点滴、筋肉注射が効果的に作用したのか、

MFICUでの時間は3週間で、27週の終わる頃には

再び一般病棟に移ることになりました。


ちなみに、MFICUのような個室だと、個室料金を取られて

しまうのではないかと思ってしまい心配になりますが、

病院都合のため追加料金は発生しませんでした。


妻の場合3週間MFICUで様子を見ましたが、

MFICUは病院の中でも数が限られていて、

妻よりももっと深刻な妊婦さんが次から次へと運び込まれていました。

ずっとこのまま快適に過ごせると良かったのかも知れませんが、

MFICUを必要とする他の妊婦さん達に場所を空けておくのも

とても大切だと感じました。



妻は入院の直前、血糖値の負荷試験を実施していました。

病院により実施時期は異なるらしいのですが、

私たちが通っていた病院は比較的早い段階で実施していました。


その結果、妊娠糖尿病ギリギリということで、

とりあえず様子見のため、血糖値を計測してください、と言われてました。


妊娠糖尿病は、75gブドウ糖負荷試験の結果、


・負荷前で100mg/dl以上、

・負荷後1時間で180mg/dl以上、

・負荷後2時間で150mg/dl以上、


のうち、いずれか2点を満たした時に妊娠糖尿病と診断されます。


妊娠糖尿病になるとお腹の赤ちゃんが巨大化して

しまう危険があります。


治療は、インスリン注射による血糖コントロールとなりますが、

これにより普通よりも多量の血糖が胎盤を通じて赤ちゃん

に供給されてしまいます。そのために赤ちゃんの膵臓から

インスリンが多めに分泌されて、出生と同時に母体からの

血糖の供給がなくなることで、低血糖になってしまいます。

(実際、私の子も低血糖と診断されました)



計測に必要な機器(針を刺す機器と計測器)は病院で

貸し出してもらえますが、針や消毒用のコットン等は自費と

なります。


また、インスリン注射ですが、

妊娠糖尿病となり血糖値をコントロールする必要がある場合は、

妊婦の場合はお腹の赤ちゃんへの影響を考慮し、

錠剤ではなくインスリン注射となります。



妻は入院後、ウテロン点滴を開始ししたことで、

血糖値が大幅に上昇してしまいました。(軽く200を超えました)


点滴は薬品を流し込むためにブドウ糖を使用しますが、

このブドウ糖を1日中体内に送っていたため、

定常的に血糖値が上昇していまい、完全に妊娠糖尿病に

なってしまいました。


そのため、入院食は制限食となり、食事前のインスリン投与

(お腹に針を刺してインスリンを投与していました)と、食後2時間

の血糖計測(手の指に針を刺して血を滲み出してから計測)を

続けることになりました。

病院からは「120」という数値を目標に、この数値を超えないように、

インスリンの量を調整していきました。


妻は最初は血糖値が高くなるのが怖く、

食事を残すこともありましたが、

食事をしないとお腹の赤ちゃんに栄養が届かなくなってしまうため、

最終的には気持ちも吹っ切れ、食事をしていました。


体質により血糖値が高くなるものは人それぞれのようですが、

妻の場合は乳製品や芋類、ご飯などで数値が跳ね上がって

いました。これについては、毎回摂取したものと血糖値を

見ながら、自分の傾向を把握するしかないようです。


食後に運動ができる場合は血糖値も抑えられるのですが、

絶対安静という事情もあり、食事とインスリンでコントロール

するしかありませんでした。


自宅療養であれば、たくさん食べてたくさんインスリンを投与することで、

栄養をたくさん摂ることもできますが、入院の場合は食事の量も

かなり限られるので、妻の体重は全く増えませんでした。

最終的に出産時も、入院のときとほとんど体重は変わらずに、

産まれた子の分だけ体重が減って喜んでました。


赤ちゃんのことを考えて、前向きに前向きに捉えることは

とても重要だなと思いました。


また、妊娠糖尿病の可能性があった妻に食事の心配をさせないように、

お腹の赤ちゃんが入院させてくれたんじゃないのか、

と途中から思うようになりました。


そう考えると、気持ちも楽になりましたし、

お腹の赤ちゃんにもよりいっそう愛情がわいてきました。




入院後、点滴生活が続きました。


張りは落ち着いてきて、ほとんど無い状態だった子宮頸管も

1.2cmにまで戻ってきました。


それでも1.2cmというのは、通常からすればほとんど無いに等しい

くらいの短さで、この長さが短ければ短いほど早産の可能性が

高くなってしまいます。


子宮口は2cm開いたままで変わりはありませんでしたが、

当初見えていた胎包は見えなくなりました。


病室では絶対安静で、トイレとシャワー以外は

歩くことを許されない状況が続きました。


ウテロン点滴により最悪の状況は免れましたが、

予断を許さない状況は続いていて、担当医から

プロゲステロンの筋肉注射が提案されました。


日本国内では実績の浅い治療法ですが、

子宮頸管が熟化するのを抑制し、

妊娠期間を延長する効果が期待できるものです。


結果的にこの注射を週に一回、妊娠35週まで続けることになりました。


このプロゲステロンは不妊治療にも使用されるものですが、

筋肉注射のため非常に大きな痛みを伴う人もいるそうです。


妻は臀部(お尻)への注射にしていましたが、幸い痛みもなく、

副作用は若干の発熱と血糖値高騰で済みました。


このプロゲステロンの効果と副作用については、

正直なところ人それぞれで、たまたま妻には効果がありましたが、

人によっては十分な効果が得られなかったり、

頭痛や吐き気等の強い副作用を伴う人もいるようです。


担当医からも十分な説明を受けていましたが、

この治療法を実施するかについては、

夫婦で一晩考えました。


最終的には、可能性のある治療は全てチャレンジしてみようという

判断で、妻と私は注射を打つことに決めました。


もしかしたら早産になってしまうかも知れない。

そうであるならば少しでも、1日でも、1時間でも長く

お腹の中にいられるようにしてあげたい。

そんな思いからプロゲステロン注射を決意しました。






「このまま入院していただきます。絶対安静です。」


妊娠23週。妻が突然出血しました。


急いで通院していた病院に行くと「切迫早産」と診断され即入院。


車椅子で病室まで運ばれました。


お腹の張りが強く、子宮頚管の長さがほとんどない状態で、

子宮口も2cm開いている状態。

胎児を包む「胎包」が見えてしまうという緊急事態でした。


まだ23週。お腹の子供は590gしかない状態。


放っておくと今すぐにでも産まれてしまう状況で、

すぐにウテロンの点滴を開始しました。


ウテロンはお腹の張りを抑える薬です。

ここから先、出産までずっと生活をともにすることになった

点滴です。


もともと妻は張りやすいことからウテメリン錠剤(ウテロンと同じ)

を処方されていました。


「張ったら飲んで下さい」と言われていましたが、

「張っている」とはどのような状態なのかがわからず、

1日1錠飲むか飲まないかという生活を送っていました。


張りが強いと陣痛に近い状態となり、

お腹の中の赤ちゃんが何も準備できていない状態なのに、

体が出産の準備を始めてしまうそうです。


担当医からは

「今すぐに産まれるかもしれないし、産まれないかもしれない。

ただし、早産になる可能性は50%近いです。

もし産まれたとしても、周産期母子医療センターがあるので

安心して下さい」

と言われました。


半分の確率。。とても不安になりました。


妻は病室で涙が止まりませんでした。


「ごめんなさい。。ごめんなさい。。」


でも、切迫早産は母親が悪いわけではなく、

原因も不明の症状です。


とにかく気持ちを落ち着かせることを優先し、

大丈夫、大丈夫と、自分にも言い聞かせるように

していました。



「へぇー、妊娠中に入院する妊婦さんもいるんだね。」


『切迫流産』や『切迫早産』という言葉は聞いた事がありましたが、
自分たちとは全く縁の無いことだと思っていました。


あの日が来るまでは。