風の谷のナウシカ、レクイエムから「玉蟲との交流」、楽譜です。

 今日の練習録画です。

 

 コロナ以前はピティナって全然知らなかったんですが何かにつけその言葉を聞くようになってきました。ピアノのコンクールとしてピティナ・ピアノコンペティションというのがあるみたいです。今開催中でYoutubeでみれます。特級といういちばん上級のクラスがあってその3次予選出場者が10人決定されたところのようです。広島原爆の日の明日6日、3次予選だそうです。

 どうしてここにこの話題を書きたくなったか。Youtubeで10人を何とはなしに聞いていたのですが、すごくいい演奏を聞けたからです。もちろんみんなうまくて、でもだからといって全部じっくり聞こうというほどには特筆すべきものはないんじゃないか、と思いながら聞いていて、実際ほとんどはそうだったんですが。

 尾城 杏奈さんという人です。すごく気に入りました。表現力が他の参加者に比べてずば抜けている。そう自分が感じたのは確かです。

 

 

 最初のスカルラッティ―の演奏でひきこまれて。音自体は抑えた感じなのに伝わってくるものが強い。一音一音に意味がある、そう弾く根拠がある、というのを聞いたことがあるけど、その言葉を思い出しました。ざっくりいってしまうと、細かいとこまでメリハリの付け方が行き届いている、ということになるけど、その言い方だと大雑把すぎますね。どうメリハリをつけるかちゃんと考えた結果だから、聴いている方に納得のいくものになるんだとおもいました。

 抽象的なことを言ってもわかりにくいので例を出すと、あるフレーズを弾いていて、聞いていると、例え知らない曲でも、次の音はこれぐらいの強さでこんなかんじに弾くんだろうなと予想できるときがあります。でもその期待を裏切り、予想より弱く弾く部分が何度かありました。そしてその方がいい感じなんです。(彼女の弾いた3曲のうちのどの曲のどこだったかはわからなくなりました)。どういいかは語彙力不足で説明できません。でもその音をそう弾くことに正当性があったことは確かです。なぜならいい感じに聞こえたからです。

 ショパンも良かったけど、シューマンの謝肉祭がよかった。シューマンって自分にとってはピンとこない作曲家だったんだけどいい演奏を聴くと作曲家の良さまで理解できる気がします。

 他の人の演奏は彼女の物に比べるとのっぺりとしていて退屈になる感じでした。あくまで比較するとそうだというだけで、なかにはけっこういい演奏も1,2個あった気がします。
 この先の予選と本選がどうなるかはわからないけど、結果に関わらず、尾城 杏奈さんという名前は記憶にとどめておこうと思っています。

 一旦いいと思ったらいいに違いないと思い込んでしまうという、心理学でいう確証バイアスにとらわれてるかもしれません。でも審査員でも評論家でもないし死活問題でもないので、バイアスから解放される必要はありません。当面このままにしておきます。

 ヴァイオリンを弾いてるうちに、ピアノよりヴァイオリンの方が表現力あって楽しいんじゃないかと内心思って来たんですが、この演奏を聴いてまた考えがかわりました。こんな表現はヴァイオリンでは(少なくとも今の自分には)できない。