どう書き始めたら良いのかわからず、相応しい始まりの文面が思い浮かばないのですが、タイトルの通り、10月28日に4歳の娘が他界しました。
持病があるわけでもなく、亡くなる1週間前には元気に幼稚園へ行ったり、遊園地に行ったり、普通の生活を送っていました。
子供が自分より先に亡くなるなんて、まったく思ってもみなかった現実に、表現のしようのない喪失感があります。
こうなった経緯ですが、まず月末の日曜日に腹痛を起こし、熱も出していたので痛み止めを飲んで横になっていたのですが、悪くなる一方だったので月曜日の早朝に病院へ連れていきました。
これまでの胃腸炎とは違う異常な痛みから盲腸を疑っていたのですが、診察してもらっても盲腸といえる決定打がありませんでした。
その後血液検査などを挟みながら病院での滞在中にどんどん症状が悪化して、すでに話しかけても受け答えもできない状態にありました。
それからも紆余曲折を経て、夜になってよくやく病院側が彼女の異常に気付き、即集中治療室に送られました。
病院に着いてから12時間、娘の様子を訴え続けてようやく適切な対応に至るには遅すぎて、憤りと混乱で頭がおかしくなりそうでした。
不安感から身体が震え、血の気が一気に引いたのを覚えています。
運ばれる際意識の朦朧としている娘に
「パパとママは待ってるから、絶対に帰ってくるんだよ、約束だからね、」
と一方的に約束の言葉を交わしました。
それからは夫婦揃って泣き崩れるしかありませんでしたが、一歳の息子は訳がわからない様子だったので、こちらも必死に対応していました。
その日から夫は方時も集中治療室から離れず娘の側に居続け、私は息子をベビーシッターさんに預けながら朝と晩、病院へ通いました。
火曜日に結果が出て、病院の担当医から「自己免疫性脳炎」というもので、100万人に5人から10人ほどなる非常に珍しい病気だと告げられました。
新しく発見された珍しい病気ですが、治療法はあるため早期の適切な治療があればまず死に至ることは無いということも聞かされ、ステロイド投与が始まりました。
意識が戻るまでは二、三週間はかかるかもしれない、そしてその後どの程度の障害が残るかもわかるので、リハビリが必要なこともあると聞き、長期戦を覚悟しました。
その後娘のいる集中治療室を訪れました。この間まで普通に元気だったはずなのに、それとは真逆でベッドの上で意識のない娘の姿を見るのは辛く、涙が溢れてきました。
それでも夜はいつも家でやっていたように、通り本の読み聞かせをしたところ、はっきりとは聞こえませんでしたが「ママ…」と娘の口からかすかに声がしました。
そして緊急入院してから3日後の木曜日に、親しい友達が交代で娘の側にいてくれることになり、一度夫が家に帰ってくることになりました。
帰ってきても娘がいない、なのに娘の物はそのまま全部あり、それを目にするのは本当に辛いものがありました。
それでも娘が帰ってくることを辛抱強くまっていようと夫婦で誓いました。
その直後に病院から連絡があり、脳のCTをしたところ脳浮腫が確認されたので、ケルンの大学病院へ搬送し緊急手術をするというとのことでした。
それは娘が重度障害児になるか、死か、という状態を意味していました。
友人は救急車に同乗してくれるということで、私たちもケルンの病院へ直接向かいました。
友人と合流すると、救急車の中で娘の呼吸が停止し、人工呼吸器を入れる処置が施されたことを聞かされました。
夫は今まで見たことのないほど泣き続けているのですが、私は身体も頭も重く、涙も出ないほど感覚が麻痺していました。
その後部屋で待たされていたのですが、医師二人が私たちのもとを訪れ、脳死を知らされました。
娘は、もう戻ってこれなくなってしまいました。
親しい友人たちも病院から駆けつけてくれて、その日は皆んなで寄り添いながら、家に帰宅しました。
金曜日には日本から母が来てくれたので、フランクフルト空港まで迎えに行きました。
この病気は長期戦になると思い、闘病生活の手伝いに来て欲しいと伝え、遠いところから来てくれたのですが、悲しい結果を報告することになってしまいました。
そして土曜日、夫と母と友人でケルンの病院へ向かい、娘の人工呼吸器を外しました。
これが、すべて1週間の間に起こった出来事とは信じられない思いでした。
そして今は日本に帰国しています。
ドイツと違い気候が穏やかで、太陽の光を浴びて過ごす毎日は、心の慰めになっています。
こちらに帰ってきてからの方が悲しみがどっと溢れる波が毎日あり、どうやって気を紛らわそうかということに躍起になっています。
極力娘のことは考えないようにしていますが、頭では理解していても気持ちが込み上げてしまうので、毎日外出してアクティブでいようと心掛けています。
リモ演チャンネルでも、先日公開した動画の概要にこれからの思いも書かせていただきました。
これからも前を向いて生きていけるように、亡くしたものでなく今あるものに感謝の念を忘れずに毎日を過ごしていきたいと思います。
娘は私たちの心の中で思い出として生き続けていきます。