台湾在住

おせっかいママのマルチリンガル子育て

劉淳子です

【海外でもわが子の資質が開花する】子育て法をお伝えします

 

 

 

十年前台湾に移住した頃

 

 

私が劉淳子として

活動を始めるまでのストーリーを書いてます

 

 

2021年1月から

親勉チビーズインストラクターを再開するにあたり

結婚する前から結婚後までふりかえりたいなと

 

 

 

もし、お付き合いしていただけると嬉しいです。

 

 

 

星劉淳子ができるまで 第一話

 

 

長崎生まれ

佐賀育ち

大学から海外に出るまでの8年は

福岡で過ごしました

 

 

私はもともと

母と同じように高校教師になるのだと思っていました

(↑まずここから自分で自分の人生を考えてなかったんだと今なら思える

自分の意見をあまり持たず

周りに流されて生きてきてたんだなと)

 

大学4年の時

母校で家庭科の教育実習をするため地元に帰り

1か月みっちり生徒達と関わり

先生としての在り方を考える時間がありました

 

 

 

たった1か月

されど1か月

 

 

21歳の私には将来を考えるにはいい時間でした

 

私はすごく明るくて

なんでもやってくれるように見えるらしく

中学のころから学級委員や生徒会を任されることが多々ありましたが

「これでいいいのかな?」と

いつもビクビク、ドキドキしていました。

 

 

緊張しい・・・

こればかりは今でも直りませんね

 

ドキドキすることができる素敵な能力ドキドキ

と40歳になりやっと感じるようになりましたけど

 

 

 

 

 

教育実習で感じたこと

下差し

①家庭科って受験に関係ないよね?

②じゃあ、なにするの?

③社会に出たときに自立してやりたいことを見つけて生活できるようになるため

④じゃあ、先生としてなにを教える?

⑤男女問わず家事全般はもちろん

大人って素敵なんだよ、

楽しいことが待ってるから世界は広いから

あなたたちの未来は明るいということ

 

 

 

(かなり大それたことですが

大人になりたくない。死にたい。

未来なんて真っ暗と思ってる生徒たちが多いのも事実)

 

 

 

でもこんな

大学出てすぐに教師になった私が

なにを言っても

説得力ないよね?

だって、わたしがやりたいことやってないんだもん。

 

 

と思ったわけです

 

 

 

それから20代のうちは

私の好き!やりたい!をやろうキラキラ

 

 

 

30歳になってから教師になっても

まだ30年もある。

 

 

 

 

 

ちょうど大学の助手にならないか?

大学院でもっと勉強しないか?と

教授に誘われ

2年間大学院で栄養科学の勉強

 

これがどういう風に将来つながるかはわからない

でもやってみたいことはやってみようと

この間も20代のうちに海外に出たい

という夢もあり

それも並行しながら研究にいそしむ毎日

 

研究職ってほんとに人と接しないんですよね

 

 

 

 

内容によっては危険な薬剤を使ったり

5時間、9時間の待ち時間があったり

朝早く出て、真夜中に帰宅

という日も多かった

一日ほぼ誰とも会話しない日もあった

私はそこまで没頭できなかったので

これは20代前半だからやれること!

だったのかな

これもまた経験キラキラ

 

 

 

そして、卒業後

2年弱働き

25歳の時にワーキングホリデーでニュージーランドに行きました。

場所はクライストチャーチ

 

 

語学学校

ホームステイ

韓国レストランでのウエイトレス

住み込みのベビーシッター

バックパッカー

シェアハウス

 

どれもこれも新しいことで刺激がいっぱいでした

やってみないとわからない

行動してみないと気づかない

 

こんな当たり前のことを

考える

頭でっかちでわかってはいるけど

できない人って多いと思う

 

 

 

それから

次はカナダのエドモントという場所に

4年ほど住んでました

 

栄養とビジネスを勉強しつつ

Subwayで働いたり

カナディアンファミリー宅へクリーニングレディをしたり

小学校で読み聞かせボランティアしたり

旅行をしたり

 

ロッキー山脈の一つWhistlers Mountainでの一コマ

落ちたら真っ逆さまなので

かなりビビってる(笑)

 

こんなことをしながら私はほんとは何をしたいの?

ほんとうに教師になりたいのかな?

と考えるようになってきたんですね

 

そして期限を決めていた30歳

誕生日の日に

ニュージーランドで出会い、カナダで同棲していた

台湾人の彼と日本で結婚しました。

ややこしーーー(笑)

 

日本と台湾で籍を入れるだけで

すぐにカナダに戻った私たち。

 

カナダに移住する!

ぐらいの感覚でいたのですが

 

 

 

そんな時にやってきたのが

リーマンショックガーン

 

 

 

ほんと

世界ってどうなるかわかりませんね。

 

 

情勢がかなり悪化し

カナダ人もどんどん解雇になって

仕事がない状態。

 

政府から

雇うなら国民を第一に(当たり前なんだけど)

そして移民

外国人は最下位でした。

 

 

 

うーーーーーーん

なんでもよければ仕事はある!

でも、それでいいの??

 

ということが頭をよぎる

 

 

 

そして、

台湾にもどろうかと思うんだけど・・・

夫が話してきました。

 

 

フットワークだけは軽い私

何も考えずに

いいよ!とひとこと

 

そんなこんなで台湾での30代が始まります

 

あれっ?私のストーリー2話で完結しそう(笑)

みじかっ

 

今思うとこの頃はどこかに所属して働くことしか考えていなかったな。

もっと周りを見たら

働き方なんていくらでもあるのに

 

第二話はこちら

『劉淳子(リュウ・ジュンコ)ができるまで第二話~台湾移住(母になる前)』 台湾在住おせっかいママのマルチリンガル子育て劉淳子です【海外でもわが子の資質が開花する】子育て法をお伝えします   十年前台湾に移住した頃  私が劉淳子とし…リンク【台湾台北初!】親勉( 親勉チビーズ)インストラクター劉淳子〜息子と遊びながら日中英のマルチリンガルに育てるまで