現代において大きな内線や紛争とは無縁であった西側諸国にも暗雲が垂れ込み初め、ベルギーでテロが起こると予測されていながらもテロが行われた。

見て見ぬふりを決め込んでいた彼らはその裕福さの裏にある過酷な労働や差別をされていた人々から攻撃を受け始めた。

テロという手段でしか、それを表現出来ないのは話し合うよりもそれが一番早いと考えた結果なのか。世界には何かしらの怨嗟がある。その怨嗟を巧みに使ったアメリカや西側諸国がついに恐怖の底へ落ち始めた。

誰も止めることのできないテロという表明手段は必ずや諸刃の剣で返ってくる。現代のシステムの沸点が露呈し始めたのだろう。

それは対岸の火事ではなく必ずや日本も標的になる。そして、右傾化している安倍政権が喜んでもっと右傾化し、国民からは怨嗟が増幅する。大きな戦争にはならないだろうが、犠牲者は増える一方だろう。

今一度、ものが安く買える理由を考えるべきなのだろう。安い衣服を作るためにバングラデシュの貧しい人々は低賃金で働かされている。以前には労働場所の建物が崩壊し何人もの人が亡くなった。我々の裕福な暮らしは誰かの犠牲の上にある事を再認識する必要があると思う。

そして、国家はともかく戦争状態へ持っていきたい。中国にしてもロシアにしてもアメリカにしても財政危機にある。日本も然り。いつ今の暮らしが破綻するかわからない。そのような不安定な中で我々は生きている。

マスコミを信じてはいけない。ゲス不倫だの清原だのが騒がれているのは国民の目をそちらに行かせないための手段であることを考えなければならない。

世界に平和を望むならば、まずは家庭を大切にし職場を健全化し、海を渡り海外の世情を知る必要がある。

今はネットの時代、平和への道も地獄への道も我々の思考や選択で決まる。今一度、生活を改める必要があると思う。

情報の裏を読み、ホントは何を報道したいのか。なぜ、安保法案におけるデモが報道されなかっのか。原発にしても然り。

必ずや情報の裏には権力が存在する。その絶対的な権力を疑う必要がある。

幸せは続かない。幸せを続ける努力を常にすべきなのだろう。

ともかく、情報はどこかの脳が作り出したものだということを忘れてはいけない。つまり、意図があるのだ。その意図を思考することを忘れてはいけない。己の頭で考え己の悟性を信じて人は生きるべきである。その先にこそ幸福な世界はある。もちろん、人類が平和を望むのであればだが。

最後にテロで犠牲になった方々に哀悼の意を表します。