それがうまくいかなくても
次の戦略を立てる。
多分、目標のためにその繰り返し。
夢?があり
夢への希望もあり
30歳
ウエディング業界に就職した。
女1人で子供を育てる為に
長く働ける業界だと思ったから選んだ。
初めて働いた会社がプロデュース会社
それは今考えてもよかった。
(プロデュース会社に就職してよかった)
その会社を退職後にプロデュース会社を立ち上げた人は多いし、ライバルでもあり、同志でもあるような関係もあった。
この会社を辞め、半年間、司会者の人に付いた。現場を知りたかったから。もちろん無給(笑)
司会者の人から離れ、制作会社に入った。
ここではけちょんけちょんにやられた(笑)最初の2週間で病みそうになった。
(愚痴すら言う事ができなくなった)そんな時に助けてくれたのは、プロデュース会社にいた時のメイクさん。
ただ、一緒に飲みに行った。
ただそれだけだけど、何となく闇が晴れた。
立ち直ってからはそれなりにやってた。
この制作会社で‘町”のオープニングイベントに携わり、町が大きすぎて(笑)このイベントで笑顔になった人の存在が掴めず、ウエディングの仕事に戻ることを決めた。
私の転機になった会社が北九州本社の会社だった。この会社には、いや!この時の上司には感謝しかないし、多分、今までの人生で一番尊敬している。
(しかし、恩返しはできてない)
そして今
20数年ウエディング業界に携わり
まだ、仕事もゼロではないけど
ウエディングの仕事はしないと決めた。
(本当に嫌になったんだよねぇ〜理由もあるけど、まだ言えない(笑)
数年前
うちのスタッフの兄弟の全ての結婚式をプロデュースさせてもらって、日本のウエディングプロデュースの仕事はやらないと決めた。
(ここでは、新郎新婦の気持ちより、親の気持ちの方を理解する自分はもうダメだと思ったから、ここでプロデュース業務を終われて良かった)
企業(店舗)の周年パーティーなどは面白いと思う。これからもやりたいし、やる。
大がかりなのをやりたい!
装飾まで全てできるような(笑)
ウエディングをするならば、海外で日本式を混ぜたプランニングやコーディネートを提案するプロデュースをする。
それに、海外には、日本にはない家族のイベントもあり面白い。
それは日本に取り入れてみたいかな。
だから羅針盤のプランニング事業部の
vivolacita(ヴィヴォラシータ)は、私のBoneで、絶対に無くさない!!
個人事業主になるなら、vivolacitaを社名にするよ!
って、ボスが聞いたら泣くかなぁ(笑)
vivolacitaの戦略は
名刺にも反映されていて、私の頭はフル回転(笑)
妄想は止まらない!
もちろんアパレル事業も戦略練って頑張ってますよ!
アパレル事業の事は、ここではないプログです(しかし、あっちでは毒舌禁止なのです)
ぁあ〜
オンラインショップも英語表記にしなきゃいけないし(新しい他国のサイト)
まぁ!いい
さて、中学の同級生からもらった
DVD見て、踊って痩せよう。