父について | 赤い糸、絡ませて。

父について


わたしの中での『父親』という存在は、6年ほど前で止まっている。


以前書いた記事でも少し触れているけれど、(こちら

父はわたしが高校に入学してすぐに、病気で倒れた。



その頃体調不良を訴えていた父。

「風邪だろう、」と言って仕事へ行き、

空いた時間は自宅に戻って横になっていた。

そんな日が、何日か続いた。


そうして、

わたしの16歳の誕生日の翌朝、父の意識が途切れた。

脳梗塞による、脳溢血。

脳の血管が詰まり、破裂したのだそうだ。


救急車を呼び、わたしと母が付き添った。

そこからどうなったのかは、あまり覚えていない。


覚えているのは

後日、ICUのベッドに横たわる父の姿。

一目で重症だと分かるくらい、父は変わり果てていた。

もう駄目だと思った。


見ているのが辛くて堪らなくて、

病室を出てすぐ、声をあげて泣いた。

母も泣いていた。

兄はただただ、黙っていた。



その後、最悪の事態にはならずに済み

徐々に父は回復に向かった。


けれど、病気の後遺症は色濃く残っている。

片腕・片足に障害が残り、今は杖無しには歩くことが出来ない。

軽度の脳障害の影響で、言語障害も残った。

根気良くリハビリを続けているお陰で

初期に比べ格段に良くはなっているけれど、

このまま全快となるかどうかは、難しい状態。



回復しているとは言っても、以前の父には戻れないのだ。


人と話すのが好きで、

客商売が天職そのもので、

何処へだって車で連れて行ってくれて、

どんな事にも誰よりも詳しくて物知りで、

末っ子一人娘のわたしを何より可愛がってくれて、

お酒と煙草が好きで、

わたしが20歳になったら一緒に飲みに行くぞ、って


そう言ってくれていた父。


あの父には、もう会えない。



退院し、父が自宅に戻ってきてから

わたしは父と距離を取っていた時期がある。


故意に目を合わさず、声を掛けず、

まるでそこに誰も居ないように、していた。


今思えば、ひどい事をしていたものだ。

実際わたし自身にも、何故そこまでして自分が父を避けるのか、

その理由がずっと分からないでいた。



今なら、その理由が分かる。


わたしは、認めたくなかった。

父が変わってしまったこと。


母や兄や親戚の人達のように、手厚く介助をしてしまえば

あの頃の父がいなくなってしまうような気がしたから。


だからどうしても、父を『見る』ことが出来なかった。

だから避けていた、この数年間。



こうして今、自分自身を振り返るきっかけになったのは

何を隠そうTさんとの結婚だ。


この家を出ることが決まり、

親と同じ屋根の下で過ごす時間に終わりが見えたとき、

ふと、わたしは我に返った。


どれだけ自分が父にひどい事をしていたか、を

そう思ったら申し訳なくて堪らなくて、一人でめそめそ泣いた。



「どう接していいのか分からなかった。

 うち、お父さん子やったし、」


Tさんとわたしの両親との顔合わせを終えた日、

車の中で、ぽつぽつと彼にそんな事を話していた。


今は少しずつ、父と接することが出来るようになってきた。

以前のように・・・と思っても、もう6年も前の事で

あの頃どうやって父とコミュニケーションを交わしていたか定かではない。

だからとても、ぎこちない。

親子なのに。笑



私達の式は教会式です。

長い長いバージンロードを、父と歩きます。


長い距離を歩くのはまだ苦手な父。

リハビリ頑張らないと!って周りの人達は応援してくれている。

頑張れ父。


多分、わたしは当日泣きながら歩くでしょう。