この曲を書いていた時期

正直 実はあまり覚えていなくて・・・

なので、これを何度も書き直してしまって

(&思うことが多すぎて)

ブログ更新遅くなっちゃいました🙇‍♀️


ごめんなちゃい。



と、いうことで

何か制作秘話を一つ!

と思ったのですが、

本当に記憶がないので歌詞の内容を書きたいと思います!



聞くところによると

この曲に関して

憶測が飛び交っている?らしかったので

ちゃんと説明をいたします。

赤裸々にね。



色んなインタビューでも

この曲に関して質問されることが多かったです。

私は、

「最近身近なバンドの解散や活休が多くて

 天才が誰かの力によって消えていく様を曲にしました」

と答え続けてきました。

事実、間違いは無いのですが

本当は自分の気持ち(実体験)8.9割くらいです。

今から語ることは、あくまでもその時の感情論で

今は、あの頃があるから今の自分があるし

非常に感謝していますので

あまり肩入れせず呼んでもらえたら嬉しいです。



vivid undressは、結成して2〜3ヶ月ほどで

まだバンドのチカラが完全についていなくて未完成のまま

みんながどういう方向に向かっていきたいか

など話し合う間もなく

気付けば色んな大人の方が目をかけてくださって

先のことがトントンと決まって

周りの環境にドロドロに甘えながら

時間だけが進んでいくような日々を経験しました。

通常だったら

自分たちでお金を出し合ってレコーディングをする

アマチュアバンドの初のデモ音源は

色んな縁とタイミングがあって

まさかのタワーレコード渋谷店(しかも1階と3階の両方)で大展開される。

そのあとに販売が決定した

初の全国流通ミニアルバムは

某バラエティ番組や、某音楽番組のエンディングテーマ決定。

さらにカウントダウンTV出演など

さっきまでノルマ払ってライブハウス出てたバンドが

色んな人の頑張りによって用意された場所へ

ズカズカと踏み込んで行って

あんたたち誰?と、ボッコボコにされる日々。

バンドがどう進みたいか、

メンバー同士で話す以前に

一生懸命作った次の新譜の内容や選曲などは

全て会議室の中で決まってしまう状態。

着る服もスタイリストさんに選んでもらって

写る写真も隈なくチェックされる。

気分良くて自撮りなんてあげようもんなら

夜中に突然

「ツイッターの投稿消してください」

との一報。


ライブをすれば色んな関係者の人たちが見に来ては

常に評価の目で見ている。

演奏のことはもちろん、

ビジュアルのこと、言動の一つ一つ。

もちろん未熟だったことは大前提なんですけど

当時のまだ何も知らない私は

私の生きる全てを否定されているようでした。

新しい楽曲の制作は

いつも私の書く歌詞を否定されて

「歌詞が良く無い」

「歌詞がもっと良くなれば売れる」

などの言葉を頻繁に浴び

私から生まれるものはほぼ却下。

私から生まれてないものを組み込まれて

「いい曲ができたね〜!」

って喜んでいる。


・・・そしたら、もうさ、

「このプロジェクト、、、、

 才能ない凡人でブスな私がボーカルであることの意味ありますか?」


って

何度も思いました。

ライブに行く道中は必ず泣いてて

会場の入り口に入る前は

深呼吸しないと入れなくて

ライブをするたびステージ上で泣いて心配をかけて。

終わったらまたなんか言われるんだろなーって。

ライブするのが、怖かったです。

当時を知ってるファンからは

今の私を見て

「強くなったよね、きいらちゃん、あの頃は毎回泣いてたんだもん」

って言われて

懐かしいね〜なんて笑い話になっているほど。

今思えば

本当に私は弱かったと思います。

当時、周りの人たちは

しっかり私を認めてくれていた。

認めてくれてた上で

きいらならやってくれると信じて

かけてくれたたくさんの言葉たちを、優しさを、

私は自分の弱さで全て

ふさぎ込んで跳ね返してきたんです。

非常に悔しいです。

今の私ならしっかりアドバイスとして受け入れられるのに。

何も知らなかったんです。

全ての人が敵でした。

事務所を離れて

自主レーベルとしてメンバーだけでここまでやってきて

今になって、、

やっと、

やっっっっっっと!

わかりました。

が、

正直あの頃の感情は消えずにトラウマのままでした。

だから楽曲にして成仏させたかった。

そんなきっかけをこの曲がくれました。

さらに、このアルバムの制作中、

たくさんの友達が活休や解散を発表して行く中で

同じように苦しんできた天才たちが居たんじゃないか

むしろ、まさにいま、渦中の人もいるんじゃないか

と考えました。

なので、

今の感性ではなく

当時の思っていた苦しんだそのものを書こうって。

「今思えばさ、感謝だよ?」

なんて

例えばどんなに科学技術が進歩して

未来から当時の私に伝えることが出来たとしても

絶対の絶対に響かないと思います。

そもそも塞ぎ込んでいましたし、

誰のアドバイスも煙たいだけでした。

だから、

例えば日本のどこかに

今そういう状況にあるバンドや

夢を追う人たちが

苦しんで塞ぎ込んでる人たちがいたのであれば

同じ思いをしていた人がいて

それを乗り越えて強く生きていく方法もあるんだよ〜

ってのが

この曲や私たちのその後の活動を通じて

少しでも勇気を与えていけるといいなって思います。

目に見えるもの、耳で聞こえるものだけが全てじゃないんです。

いつも大切なのは

誰にも見せることができない心を想像すること。

隠れた思いやりに気づくこと。

でした。

あなたが思っているよりも

あなたはきっと愛されている。



当時の関係者の皆様には

本当にたくさんの時間と愛情を注いでくださったのに

私が弱かったばかりに

結果を出せぬまま一区切りを終えてしまったこと

非常に申し訳なく思っております。

大切なメンバーと、いつも支えてくれているファンの皆様と共に

必ず上に登って行きますから

そこでまたお会いできた時には

しっかりとお礼を言いたいです。


そのためにもさっさと行かなくちゃね〜


なんちゃって。☺︎




kiila.

__________


M4.輪廻転生

作詞:kiila 作曲:yu-ya 編曲:vivid undress


あのね、昔々
あるところにね 
神様の子が生まれたんだって
それで、珍しいもの見たさに
群がった人が死んでいったとさ

「この手と目と耳と口と心を取り替えましょう」
そうやって一個二個と奪われ
神様の子はいなくなりました

必然的戦略の上で
絶対的に戻らない物語
お手手とお手手合わせよう
生まれ変わったら 強くなりたい
もう何万回だって泣いて
何億万回だって笑ってる
悲しみも喜びも夢も全部が
偽物だった

ある日、神様の子が言ったんだって
『どうか私を殺してよ』って
君が望む " 理想の誰か "って
私じゃなくてもいいんじゃないかな?

息を吸って吐いて捨ててきた酸素
放置してきた嘘
目が見えなくなるまで見てきた
あの日を忘れない

神様の子は消えた
誰も上手に扱えずに
期待と愛が歪んで
バラバラにされて殺された

一生懸命な愛も
助けてもごめんなさいも
壊れた心も個性も全部全部
見世物だった

必然的戦略の上で
絶対的に戻らない物語
お手手とお手手合わせよう
生まれ変わったら優しくなりたい
もう何万回だって泣いて
何億万回 後悔してきた
不安も迷いも絶望も全部が 偽物だった

偽物だった偽物だった偽物だった
何もかも
偽物だった
偽物だった
偽物だった

・・・

つい、先日
東京のあるところにね
神様の子が生まれたんだって。


__________


追記


いよいよツアーが始まりました!

2/7の新宿ロフトにお越しくださった皆様

ありがとうございました☺︎

おかげで良いスタートを切ることが出来ました。

ファイナルのワンマンまで

全速力で駆け抜けていきますから

これからも目を離さないでくださいね。

東京もいよいよ雪が降ったよ。

体調には気をつけてくださいね。

いつもみなさん気遣ってくれるから☺︎

お互いに

雪が積もってもはしゃぎすぎで転んじゃダメだよ〜〜