9月である。苦楽と共に早5ヶ月がたとうとしている。折り返し地点。ターニングポイントである。過去を振り返ったところでその行為から何も得られるものはないが、そんなことをやってみるのも悪くない。余興とかいうやつである。果たして私に余裕でもあるのだろうか。マアナインダケドね。そんなこといってたら振り返る気力と文章に書き起こす精力がつきてしまったのでやめておこうと思う。最近変わったことといえば、このブログで誰でもコメントがつけれるようになった。誰も見ていないから何も変わらないけどね!最近というかついさっきのことか、これは。最近という範囲はムズカシイナァ。僕自身に変化はない。ないのは困る。そういう時期だ。変化を求める、別に変態しろだとかそんな素っ頓狂なことではないが、成績的に、ね。不完全燃焼。見についている気がしないし、実際ついていないのだろう。なんてこったパンナコッタ。今までのは徒労だったというのか?そうでないことを祈るばかりだが。東大。私は本当に行きたいのだろうか?わからない。まだこんな事言ってんのと思うだろうけど、ついていかなかったらこんなことになってしまうのだ。不安が過るのだ。結局は自分自身なのだから。誰が何を言おうと、誰が勵まそうと、誰がけなそうと、私は私なのだ。みんな違ってみんないい。勉強をすることは、強制されていると感じた時点で個性を破壊しているといって良いと思うが、要するにいやいややったところでのびやしないのだ。中学受験を思い出してみて、いったい勉強に対してどう考えていたのだろうか。思い出してみても出てくるのはなにも考えていない。これにつきている。そんなものなのだな。



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という非生産的な活動を続けこの時間に至ったというわけだ。読了したのは西尾維新作の“悲鳴伝”というやつだ。西尾維新最大最長の物語という謳い文句で世に売り出されたこの作品は、まあ自分が読み終わった感想を無味乾燥に述べるとすれば懐かしかった。詳しくいうと何処かのレビューにも書いてあったが戯言シリーズを思い出した。あの作品群にであったのはいつ頃だったろうか。たしか中1の終わりがけだったと記憶している。当時ラノベとかいう絵を表紙にでかでかと掲げたライトなノベルがあまり世に普及していなかった頃、クビキリサイクル、と堂々と書かれ、青髪碧眼の少女がでかでかと印刷されたそれこそラノベのような装丁でそれらは棚に並んでいたのを記憶している。正直あれはジャケ買いの類だったのだと思う。つい手にとっていたというのが適切な表現だろう。あの行動のおかげで僕は西尾維新を知りそしてそれまで特に興味を抱くこともなかったミステリへと似非ながらに傾倒していったわけである。それ以前に小説自体に興味が余りなかったのだから僕に文章を読ませる第一歩を導いたバイブル、とまで言えてしまうかもしれない。それほどまでに印象に残る作品だった。当時中2というなんとも思春期な時期だったからかも知れないが、登場キャラ、特に主人公への感情移入がそれこそ現代風に云えばぱなかったのである。まあもっとも主人公のいーちゃんには全うの心を持ち合わせているとは言い難かったけども。とにかく、だ。僕はそれ以降毎回のごとく本屋に赴き、お金のことなど気にせずばんばん続編のお話を買ってはのめり込んでいったのだ。ああ懐かしいことだ。恥ずかしながらおれは作家になるんだあ、なんてことを口走るほどには小説を好いていただろう。まあ今でもそういうサブカルな職業はかなり憧れているが。話はそれたが、戯言シリーズが終わりを迎え、自分の中で小説というもののジャンル分けが西尾維新その他になっていたのは言うまでもないだろう。あれから約5年、である。久しぶりになかなか人間じみていない主人公に出会えて感動している。改めて感謝を述べたいと思う。誰にかはわからない。
今日書いた文章は少しだけ西尾維新の匂いがするところがある気がするが、それはご愛嬌である。赦してくれよ。
タイトルにはいつも通り意味など込めることはないのだけど、まあ現在の主張したいことの一つではある。最近頭が痛い。文字通りなのだが理由は一体何なのだろう。個人的には画面の見すぎが堂々たる一位を獲得しているわけだけどね。なんたる現代病であることか。手放せないわけではないけれど手元にあったらつい見ちゃうのがこいつらの魅力というか魔力と言うかそんなやつですね。まあ自分語りはここまでにして今日は附設会?かまあわからないけれどそんな感じの集まりがありました。久しぶりに会えた人もいたから楽しかったと聞かれれば楽しかったと答えるけど、やっぱ人が多いとまとまりにかけてくる気がする。というかどうしても少数グループに分かれて話してしまうからなんかいやですね。しょうがないことなんだろうけどそれでは問屋が卸さない(合ってるかわからん)のである。わがままな意見だよ本当に。いつも誘ってくれる人には感謝してます。感謝感謝。だんけしぇん。そういえば一つ決めないといけないことがある。7月の頭に友達から東京にいって東大を間近に見てモチベーションをあげにいかないか?旅行を実施するから一緒に行かない?ということで、自分は今これに参加するか猛烈に迷っている。戸惑っている。優柔不断の成れの果ての権化、である。間近で見ることでたしかに感化されるかもしれない、そしてそれがばねになって勉強するかもしれない、友達にあって励まされてやる気がでてくるかもしれない、はたまた二日間勉強をろくにしなくて後悔するかもしれない、塾をどうしても一日は休まないといけないから後悔するかもしれない、勉強へのやる気はともかく塾へ行く気がなくなるかもしれない、かもしれない、カモシレナイ。全てかも知れない運転であるからにおいて、僕ははい、いいえと即断できんのである。どちらも最良の選択であるし最悪の選択であるのだ。まあ、勉強を選んだところで後悔するのはみんなと喋れなかったうぇぇんとかその程度だろうけど。向こうに行ったときのほうが後悔する部分が多いかもしれない。というのは頭の中にある。何人かに聞いてみたけれど意見も多種多様十人十色である。要するに自分で決めろ莫迦野郎ということなんだけどね。そこまで悩ましい問題ではないが、友だちが絡んでいるので早急に決めなければいけない。あゝどうしよふか。もう少し時間がほしいな。ごめんなさいもう少しかかると思います。こんなところで謝ってもしょうがないか。へへ。今日のところはここらへんでやめとこうと思う。誰も見ないことを願って筆を、いや指を休める。