日本を自ら離れたあの日から7年が経過。


空港まで見送りに来てくれた両親や兄貴たちに手を振りながら


きっともう日本に住むことはないだろうな


と心のどこかで思いながら


あっという間に7年が経った。


復旦大学留学時代の楽しくてしょうがなかった日々が頭に残りながらの


上海出戻り。


中国語レベルは想像以上に低下し、自分の伝えたいことが伝わらない。


留学時代の友達は皆母国に帰り、あれ?と思うほど友達が上海に残っていないことに気付くも時すでに遅し。


昼間は博愛病院の受付のインターンをしながら、夜は東華大学の夜間授業を受ける日々


友達は博愛病院の上海人おばさんスタッフのみ。


毎日毎日おばさんたちとタッパーに入ったお弁当を食べながら中国語を勉強するも、


なんか、私の人生これで良いのか


私はおばさんたちとタッパーの弁当を食べるためにもっかい上海に来たのか


と自問自答。


蜘蛛の巣が張ったボロいマンションに住みながら、週1休みの月給3000元で生活をしていたけれど


何かが違う


と思い転職を決意。


日系保険会社、日系航空会社、日系ホテルを受け


全ての会社からオファーをもらうも1番待遇が優れていた保険会社を選ぶ。


ここからが私の上海バラ色生活の始まり。


気の合う同僚に恵まれ、会社帰りはよく遊んだ。


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仕事内容はほんとにつまらなかったけど、5年も続いたのは間違いなく周りの人が良かったから。


社員旅行は桂林に行ったり、


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毎日一緒にOLランチしてるくせに、週末もよく一緒にランチw


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夜の活動も楽しみました。


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よく我が家で開いたBBQ


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今は開けるほど広くないのがさみしい。


彼との入籍をサプライズでみんながお祝いしてくれた日のことは今でも忘れられず頭にずっと残っている。


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そして、いっつも一緒だった同僚3人娘


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いりやんは良いとして、おまつは今一体どこの国にいるのだろう。


果たして生きているのか....w


彼女のことだからきっと楽しくやっているだろう。


そんなこんなで、


ただの過去を振り返る自己満ブログになってしまったけれど


上海に来てから7年の月日が経ったことは個人的に非常に感慨深い。


私はやはりおばさんたちとタッパー弁当を食べるために上海にやって来た訳ではなかったのだと、


周りに散々


なぜ中国?


と言われ続けてきたけれど


その謎は自分でもよく分からない。


なんとなく自分の性に合っている気がする


ただそれだけなのだ。


これからも永遠に上海にい続けるかどうかは分からないし、また別の国に行くことになったとしても


固定観念だけで物事を決めつけたくない、絶対に。


それは、上海に来てから7年間、


1番感じることが多かった考え方でもあり、学んだことでもある。


と、長くなりすぎましたが....


とりあえず一言。


早く上海戻りたい 笑