常々思っていたのですが、訃報のときに「~氏は闘病を続けていました」と言われることが多いなあ、と。
なぜ「~氏は治療を続けていました」と言わないのだろうかと。
闘っていて亡くなったのなら、敗けたということか。。。。。。
敗けたその人がいけないのか。。。。。
コロナじゃないけれど、私はたまたまガンになったので淡々と、粛々と治療を続けていますが、私が死んだら「敗者」認定されるのか。。。。
なんてもやもやしていたところ、ドラマ「ミステリと言う勿れ」で整くんがはっきりと言ってくださいました。
以下、患者(小日向文世さん)と久能整くん(菅田将暉くん)との会話です。
患「俺ね、もうすぐ死ぬんだよ。。。。。。。
刑事として敗け、長い闘病生活の末、病気にも敗ける。」
整「僕ずっと疑問に思ってました。
どうして闘病って言うんだろう。闘うというから、勝ち敗けがつく。
例えば、有名人が亡くなったとき、報道ではこう言います。
病には勝てず、病気に敗けて闘病の末、力尽きて。
どうして、亡くなった人を鞭打つことばを、無神経に使うんだろう。
敗けたから死ぬんですか。
勝とうとしたら勝てたのに、努力が足りず、敗けたから死ぬんですか。
そんなことない。僕ならそう言われたくない。
勝ち敗けがあるとしたら、お医者さんとか医療ですよ。
その時点の医療が敗けるんです。
患者本人が、、、、、あなたが敗けるんじゃない。」
患「(笑)敗けるのが医療か」
整「そうでしょ、闘いじゃない、治療なんですから」
患「あんたは若くて、当事者じゃないからまだわからんかな。
病と闘うぞと思う気持ちも大事なんだよ。
その気持ちが必要な時もある。」
整「それでも、人は病に敗けたから死ぬんじゃないです。
僕はそう思う。」
ありがとう~~、整くん
まさに溜飲を下げる想い。
なかなかに秀逸な回でした。
小日向さんが墓場まで持っていくつもりだったことを亡くなる直前に翻します。
そのあたりもグサグサ胸にささりました。
お時間があったら是非配信でご覧ください
はげみになります。おもしろかったらクリックお願いします。
↓