2012年 5月
区内の病院の先生から言われたこと:
マーカーの数値から考えて、転移もあると思われる。まずは抗癌剤治療をしてから全摘手術。
抗癌剤の副作用で髪が抜けます。鬘は10万~30万、ピンきりです。
全摘しても、再建という方法もあります。ここでは出来ないので、信頼できるいい先生を紹介します。

すべての検査が終わる前にいきなりの説明。あっけにとられた、というのが正直な感想。まあ、とにかく治療を早くスタートしたいのでこのまま突っ走ってもいいか、ともおもったのですが、たまたまこの病院近くに住んでいる友人がいたので、病院の評判だけは聞いておこうかと事情を説明しました。

友人:「そっか。あの病院に勤めてるママ友いるし、聞いてみるね。それもいいけど、がん研はどうだろう。親戚がちょっとお世話になったことあるから。。。」とのアドバイスをいただきました。人に話すことで冷静になれました。そこで、まずはセカンドオピニオンを聞くことにしました。

6月1日
セカンドオピニオンの前に、細胞診のプレパラートをがん研に届けにいきました。
病院に一歩はいると、そこは2階まで吹き抜けになっており、光がさんさんと降り注いでいました。自分自身、がん患者はみんな顔色悪く俯いている、なんてことはないとわかっていたのに、実際にたくさんの人たち(おそらくみんな患者さん)が、少なくとも見た目は元気に会計したり歩いているのを見たら、同志に出会えたように思え、勇気がわいてきました。私だけじゃない、がんばっている人がたくさんいるんだ!

こんな気持ちになったことには自分でも驚きました。冷静に状況を受け止め、毅然と対処しているつもりでしたが、心のどこかで「なんで私ばっかり」「かわいそうな私」という気持ちがあったからなのでしょう。この数日もやもやしていた気持ちが晴れ、あ、大丈夫だ、ここで治療していただこう、と決意しました。

実は、父が亡くなったとき、この憎いがんで亡くなる人がいなくなるよう、微力ながら役立ててほしいとの気持ちから、母はお香典の一部をがん研に寄付させていただいていました。十数年後、まさか自分の娘がここでお世話になるなんて思いもしなかったことでしょう。
また、私があの時、子育てに忙しい友人に遠慮して相談していなかったら、ここにくることもなかったでしょう。
今から思えばこじつけのようにも思えますが、当時はこれもご縁なのだ、と感じました。


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