こんにちは。節分も終わり、季節が少しずつ春に移ろっていくかと思いきや、このタイミングでのこの冷え込み。そして雪。心も折れてしまいます。寒さを覚悟しての寒さならば、雪を覚悟しての雪ならば、この頬を刺す冷たい風も、骨までしみるような冷たい空気も、冬と割り切り毅然とした態度でやり過ごせたかもしれません。 節分という春を迎える行事を楽しみ、散歩の道々、他所様の庭先の梅を楽しみ、先取りのスギ花粉情報まで目に入り、無意識のうちに五感で春を感じ始めてしまった今となっては、雪はなかなか辛いものがあります。 ここは果敢に雪を愛でるよりも、引きこもる方を選びましょうか。そんなカワイエンジニアリング広報担当ヴィヴィです。 ここ数年、色々な物の境界線がとても薄く、とてもあやふやなものに変わっている、もしくは本来あやふやだったかもしれない境界線がその本来の姿を晒し始めていると感じることがあります。 例えば、友達親子。親と子は、かつては親はどこまでも親であり、どこか怖く、誰よりも近い存在でありながら、そこには確実にハッキリとした境界線が存在し、それが常識であり、それを存在させていることにどこか誇りと信念があったはずが、いつからかその線を失くすことを誇る価値観を持つ選択肢を手に入れた。教師と生徒の関係も然り。 アイドルグループの解散云々について、官房長官に質問する政治記者、そしてそれにコメントする官房長官。これは政治記者のする質問なのか…そんなテレビ画面を見て違和感を感じる人は、今、多いのか少ないのか。大人が大人ではなくなり、子供が子供ではなくなる。サプリメントのCMに出てくるのは若すぎる老人、アイドルが好きだとキラキラした目で街頭インタビューに応える幼い大人、化粧をし大人のミニチュアのような子供。 あらゆるものの境界線が、見えにくくなってきた今、誕生したのが新たなアメリカ大統領ドナルド トランプ。政治家というポストの最たるものとも言えるアメリカ大統領というポストに就いたビジネスマン。政治家というものに対して無意識に持っていた、他の職業とはどこか一線を画する独特の仕事であるというイメージは、もう過去の話になっていくのか。近年、公募制度を利用して議員になる人も増え、政治家という仕事も昔ほどの特別感はなくなってきているのでしょうか。 前回ご紹介した、我が岐阜出身の大野伴睦。生粋の政治家です。東京市会議員を経て、衆議院議員となり、後に衆議院議長、国務大臣、自由民主党副総裁などを歴任し、政界の重鎮となった人物。長くなってしまったので、更に次回に続きます。