「——では、本日の予定を発表します。ヒジェさんはドンジュと都見物。私とヨンは王宮へ行く用が出来たので別行動。間に合えば合流するわ。
で、夜はマンボさんのお店でヒジェさんの歓迎会をやるから、そこで全員集合!ソニもタムを連れて一緒に来てね」
朝ご飯の後、私が高らかに発表したのへ、ヒジェさんは頭を掻きながら困り顔。
「歓迎って…やめてくれよ、こそばゆい。俺ァそんなんじゃねぇって」
「いいわ。じゃあ“ヒジェさんを囲む会”で」
「囲むって…」
それ以上言わさず、私は笑顔で話を終えた。
そして私は、王妃様に会いにヨンと一緒に王宮へ——
すれ違う武官達が、例外なく立ち止まって、ヨンに頭を下げていく。
歩きながら、それへ愛想良く会釈を返していると、
「そんなに笑顔を振り撒かないでください」
と、隣から不機嫌そうな声が降ってきた。
「あら。夫の職場で、妻として当たり前の事だと思うけど?」
「ほどほどで結構です」
「ほどほどだと思うけど〜」
その後も、ほどほどにいろんな人に会釈をしながら、私達は坤成殿(コンソンデン)を目指した。
「ねぇヨン。ここ(王宮)まで来て、兵舎に顔出さなくていいの?」
ウチの主人は軍の偉い人。
なので、形ばかり口にしてみると、間髪入れずの返答が——
「今日、俺は非番です。故に何処へも行きません。貴女に着いております」
「はいはい、そうよね。お休みだもんね」
坤成殿に着き、「俺は外(ここ)で待っております」と言うヨンに頷き返して、私は王妃様に御目通りを願った。
部屋の中はいつもと同じ……俯き気味に控えている女官達と叔母様。そして主(あるじ)の王妃様が——
「医仙。やはり来てくれたのですね」
少しの溜め息と、少し困ったような…それでも笑顔で、王妃様が私を迎えてくださった。
王様と諍いがあったと聞く王妃様——
私は、ちら、と、側に立つ叔母様と、一瞬のうちに目配せをして、
「やはり、って何ですか?回診ですよ、いつもの」
私は笑って王妃様の隣に腰掛け、「さぁ、脈を拝見しますね」と、王妃様の細い手首に手を遣った。
黙って私に従ってくださっていた王妃様は、私が脈を診終わる頃になると、
「……わたくしを心配して来てくれたのでしょう?チェ尚宮から聞きましたか?」
「え、」
「王妃様…」
がっつり目を合わせてしまった私と叔母様が、続く言葉を探すよりも、王妃様の方が早かった。
「ふふふ、回診とは……一昨日来てくださったばかりですよ、医仙。タムと一緒に」
あぁ、王妃様の笑顔がお優しい……
「あ、ええ…そうなんですけど。ほら、最近暑くて大変で、あまりお訪ね出来なかったでしょう?今日は体調が良いので、王妃様にお会いしたくて、来てしまいました」
「まぁ、嬉しいこと。何にせよ医仙に会えるのは、わたくしも楽しみですから。チェ尚宮、気を遣わせたな」
「は…何の事でしょうか、王妃様」
「ふふ、まぁよい。医仙に頼みたい事があるのですが、叶えてくださいますか?」
「何でしょう?」
「お聞き及びでしょうが、王様に側室を迎えようと思っております。それで、その娘の人となりを見る為に、近く茶会を催します。そこへ同席いただけないでしょうか」
「えっ」
王妃様から飛んできた直球を受け損ね、私はまた、叔母様と顔を見合わせてしまった。
「え…えぇ?側室ですか??そんな、また、どうして急に?」
頑張って投げ返してみたものの、王妃様にはバレバレのようで——
「その事で、わたくしと王様が不仲になったのでは、と……心配をかけたのではないですか?どちらにせよ、医仙には相談したいと思っていました。これからの事もありますので。協力してくれますか?」
呆気に取られる私と叔母様へ、王妃様は美しい笑顔でそうおっしゃった。
自分の子を持つ事を諦めてはいないから、妊活は続けたい。ただ、時世を考えた時に、お世継ぎが必要だという事。嫌だからと言って、いつまでも側室選びを避けてはいられない。だったらせめて、自分の目で王様に相応しい女人を選びたい……
——王妃様のお立場なら……実にご立派な考えなんでしょうね。
この時代の人達が、“それが当たり前”的な価値観なのは知ってる。ヨンも叔母様もそうだもの。
でも、私はソウルの人だから、ちょっと…いえ、かなり引っかかるのよね。
だってそうでしょう?夫に公然と愛人を持たせるなんて。
何がお世継ぎよ。女は子どもを産む道具じゃないっての……
そこでふと、部屋の外で待っているヨンへ意識が飛んだ。
ウチはタムが居るから、跡継ぎはいいとして……
ん?じゃあヨンの愛人って……
純粋に好きな女って事?子どもが欲しくて、じゃなくて??
ちょっとちょっと〜!許さないわよ!
……って、あぁ、ヨンは私だけだ、って、何度も何度も言ってくれてるじゃない。
ナイナイ、ヨンに愛人なんて、有り得な
「……医仙?どうかしましたか?急に黙って」
はっ、と我に返ると、王妃様が心配げに私の顔を覗き込んでいた。
「すみません、ちょっとあっちへ行ってました」
「あっち?」
「あ、いえ…あの、王妃様。確かに、叔母様から聞いてました。側室の話」
「これ、ウンスっ」
もう観念した私は、傍らで愕然とする叔母様へ、肩をすくめて見せた。
「ごめんなさい、叔母様。でも、王妃様は全部お見通しみたいですよ」
王妃様が小さく頷くのへ、叔母様はすっかり縮こまっている。
私は改めて王妃様へ向き直った。
「王妃様。思った事を申し上げますね。ソウル…天界では側室なんて概念がないので、私には違和感しかないです。愛する夫に…子どもを持つ為に、女性を紹介するなんて。しかも、それを妻がですよ?有り得ないです……」
「医仙。ここは高麗です。ここでは…中でも王室や両班の間では、必要なら他に妻を持つ事はあるのです。王様の側室は、王妃であるわたくしが任命して、正式に婚儀も挙げます。側室も、王宮務めのひとつなのです」
うーん……やっぱり時代劇みたいな展開。
私は、正直な気持ちを更に吐き出した。
「王妃様の妊活のお手伝いなら喜んでやります。でも、側室選びに関しては気が進みません。
私は王妃様が大好きです。だから、どうしても引っ掛かってしまうんです。
王妃様。王妃様の本当のお気持ちを、聞かせてくださいませんか?」
「医仙……」
「……ちょっと偉そうにやってみますね。叔母様、人払いをお願いします。私と王妃様の2人きりに」
頷いた叔母様が女官達と外へ——
見送った王妃様が、溜め息を吐きながら弱々しく微笑む。
「医仙…」
「さぁ、聞かせてください王妃様。王妃としてではなく。ただの女として。愛する夫を持つ妻として」
私から目を逸らす事なく、王妃様が口を開く。
「わたくしが王妃でなければ…王様が君主でなければ……という事でしょう?医仙。
それはわたくしも、何度も何度も考えました。もしわたくし達が市井に暮らす夫婦なら、農夫とその妻だったら、と……
ですが王様は、王になるべくして、お生まれになった御方。わたくしも元の姫として生まれ、そのおかげで、王様の妻になれました。それを思えば……天のお導きだと、有り難い思いしかないのです。
王様がこの高麗(くに)の王である限り、わたくしもこの高麗の王妃なのです。医仙」
「だから?側室が必要だっておっしゃるんですか?嫌がってましたよね、私が戻って来てすぐの頃……王様が離宮で側室を迎えるって、誤解なさった事があったでしょう?
本当は嫌なのに、我慢するおつもりですか?それで、王妃様は大丈夫なんですか?」
「本当とは…それ以上に大切な事もあるのです、医仙。此度の側室選びは、お世継ぎだけでなく、朝廷の勢力図も、大きくは高麗の行く末も考えての事なのです。それは、王様もご承知です」
「私には分かりません。歴史には興味なかったので。分かるのは、王妃様が自らお辛い選択をしてるって事です」
すると、王妃様が伏せ目がちに…長いまつ毛を揺らした。
「実は昨夜、王様と……王様に、わたくしの変わらぬ想いを聞いていただいたのです。王様は、側室は要らぬ、妻はわたくしだけでよい、とおっしゃってくださいました。そしてわたくしは、王様が側室を迎えられても、変わらずお慕いすると……ずっと愛していますと、お伝えしました」
「王妃様……」
「王様も、ずっとわたくしを愛してくださると……そう……」
王妃様の大きな瞳から涙がポロリと溢れ……それは、柔らかな笑みを浮かべる口元を通り過ぎ、ゆっくりと落ちていく。
——目頭が熱くなる。
なんて強情で……愛らしい人なんだろう。
きっと、王様もそうお思いになって……最後には根負けしちゃうんだわ。
嫌がってる左政丞も、その娘さんも。
歴史は変わらない。
左政丞(チャジョンスン)の娘が、側室になる——
そうなっちゃう流れよね。どうしようもなく……
だからなの?
叔母様は始めから、王妃様のお気持ちに添って差し上げなさい、って。
ヨンも、見守ろう、自分達に出来る事をしよう、って……
じゃあ、私に出来る事って?
王妃様にお子を抱かせてあげる事だわ。
側室なんてどうでもよくて、ようは無事に出産して、その後……
それこそ歴史に抗って、王妃様のお命を繋ぐ事よ。
きっと、私にしか出来ない。
だって、記憶が霞まない歴史——それは、私が抗える可能性大の歴史だもの。
……やってやろうじゃないの。
やるわよ。
私は盛大に鼻水を啜った。
「王妃様は……何処までも王妃として生きるお覚悟なんですね。それもこれも、全て愛する人の為に。女としての辛さも、王様の為に耐えるおつもりなんですね」
「……そう思ってくださるなら、わたくしを助けてください。茶会に来てください、医仙」
根負けしたのは、私も同じだった。