「好き」の理由は、特になくて。
好きだから、好き。
でも、それだと「好き」をじぶんのまわりとも分けあいたい時に困る気がして、「好き」の説明をがんばってみる。
でも、やっぱり。「好き」は好きでしかないから、
ほかのなににも変えがたく。
ほかのどのようなことばにも変えがたく。
そのようなものが、「好き」の本質なんじゃないかとおもっている。
それでも、「好き」をことばにするなかで、じぶんの内に現れてくる形があり。
その形が、わたしの「好き」の本質。
「好き」なものが変わっても、種類が増えても。
本質を支えてるものは、それほど大きくはかわらない。
本質の「好き」を大切にできていれば、いつもごきげんにもどれる。