夜ふけに、ふとめざめたときに。
「深海の真珠のように」の詩をひさしぶりに思い出しました。
深海の真珠のように
ひとり ひそかに
じぶんを つくってゆこう---詩:坂村真民
青く透き通った、くらい静かでおだやかな風景が
わたしには思い浮かぶこの詩に影響され、
部屋のカーテンを深い青にして、水槽ごっこを楽しんだことも併せて、思い出しました。
坂村真民さんは、仏教詩人。
お住まいが愛媛県砥部町で、わたしの実家ある地区の隣の市町村。
敬愛をこめて”真民さん”と呼ばれていました。
そのご縁もあって、
真民さんの詩に触れる機会は多く、小学生のころから副読本や新聞などで多数の作品にお目にかかっています。
ただ、自分の内にあるものへと
静かに目を向けて。
わたしは、どうしたい?
と、問い続ける。
その繰り返しの中で「じぶん」が作られていく。
そのような意味だと、わたしはとらえています。
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ただ、自分の内にあるものへと目を向けること。
よいもの。見てもらいたいもの。ポジティブなもの。陽。おひさまのいる世界。
わるいもの。隠しておきたいもの。ネガティブなもの。陰。夜のなか。静まる世界。
そのどちらもあって、自分。
見てもらっても大丈夫だと、じぶんが思えている自分のことは
「ある」ともう認めることができているじぶんパーツ。
隠しておきたいなとおもうものも
じぶんに「ある」と知っているパーツ。
機嫌悪いじぶんや、
他の人に指摘されても、
そんなの知らない。と聞く耳を持てなかったり、
まったく、こころに残らなかったり。
じぶんの内に「ある」と認められなかったじぶんパーツも、
そこにはいたのだな、あったのだなと知ること。
それが「自分の内にあるものへと目を向けること」。
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ひとつ、腑に落ちたとおもったら、ばたばたとつながるものがあり。
ようやく、まとまりをみせつつあります。
見えているけれど、見過ごしているもの。
そのことを受け入れるタイミングは、
周りの人が運んでくれたものを 自身がうけとめきれるか。
そこにかかっているようにかんじています。
最近、ようやく、あきらめて
「ある」とうけいれたじぶんパーツのこと。
自分の内にあるものへと目を向けることについての体験は、
のちほど、別記事にて。
今日もすてきな一日になりますように
あなたが あなたにとっての しあわせの中にあり
きょうもいいことあったな♡ とおもいだせる時をもっていますよう 祈っております
そして、 みなさまがご安全に過ごせますよう祈っております