じぶんの想いを”ことば”に変換するときに、
ことばにしきれない部分が、かけらになって体に残ってしまうとき。
なんだか、もじょもじょとした感覚が体に残る。
ことばにしきれなかったな、って。じぶんで知っていれば、
もじょもじょする感覚はそれほどでもないのだけれども...
なんだか、もじょもじょ。とした感覚は、
じぶんの内にある他の気持ちとひっついて、少しずつモンスター化することも多数。
もじょもじょとした感覚は、はやめにおそうじ。
常識的にいうならば~
相手の方は、こうしてほしいと望んでいる(はずだ)から~
自分では場違いな気がするから~
といったふうに
「世間の常識」や「自分以外の誰かの目・視線」を理由にして、
じぶん自身が相手に伝えようとした内容・思いの一部がことばに出せなかったとき。
想いの全てをことばにすることをあきらめたとき。
もじょもじょとした居心地の悪さが生まれます。
知らず知らず、なにかを我慢してしまう。
「世間の常識」や「自分以外の誰かの目・視線」といったもの、
それは、ほんとうに「常識」「相手の目線」でしょうか?
「常識」「相手の目線」の名前を借りた「自分で作り出した目・視線」のことが多いです。
...なので、周りを気にしてことばにしなかったと気づいたときは、
どういうことばで伝えたかったのか、改めて考えてみて、
ひとりごとでいいから口にしてみます。
そうすることで、
気持ちとことばのおそうじ、してみてます。
今日、いちにち振り返ってみた。
きょうは、全部、ことばにできたかな?
…うん。大丈夫。
ことばにできてなかったとしても、
きっと、適切なことばになって、よきときに出せるでしょう。
そうか、
適切なときに、他のくちからじぶんへとことばが届くことでしょう。
じぶんで、じぶんに語り掛けてみることで、
振り返ることができ、じぶんの状態に気づきやすくなる。
きづいたら「ああ、そうなんだな」って思いつつ、眠りにつく。
そのあとの整理は、無意識さんにおまかせ。
あすは、どんないちにちにしようかな。
きょうも楽しみに眠ります。
おやすみなさい