ささ きこしめせ きこしめせ#魂 の中の 言の葉 #御所ことのは 幡多のコトバ(は... ささ きこしめせ きこしめせ #魂 の中の 言の葉 #御所ことのは 幡多のコトバ(はたのことば)#波多古語 の 響き 郷里(ふるさと) 土佐國 幡多 入田 ノ #久礼場御所(#くればごしょ)の #御先祖様 (応仁 期 #幡多荘園 ニ 下向)に #礼拝 御家礼衆 に #合掌 「渡川合戦(四万十川合戦)ノ後(のち) ずうっと 伊予(愛媛県 南予)に 潜伏しちよリたルヶよ」 豊玉依姫 より 結ばれる 豊の國 のおかげさま 大友(おおとも)氏 (豊後) 法華津(ほけづ)氏 津島(つしま)氏 御荘(みしょう)氏のおかげ(南予) 「渡川(四万十川) 上流の #口屋内(くちやない)の奥まで 幡多中村* から 松明を掲げて お迎えがきたとぉ~ 御先祖様 が 幡多中村*にもんてきたヶは 土佐藩主 山内になってからぢやリたル 波多ノ 中村ノ 入田 ニ もんてきた翌日 の 元旦 は 門に 松 ぢやのうて カシの木 を立てて お祝ひしたヶと~」🎍 #御家来礼衆(ごけらいしゅう) は 十七家 が 丹波守頼成公(延宝七年に満てた)のお墓と共に 久礼場御所(くればごしょ)そばの山に お祀りされちよル #幡多中村 * = 土佐中村 一条公(いちじょうこう)#一条教房(のりふさ) 公 ハ 関白 ヲ 譲渡シ 父 兼良公卿 再任 応仁 期 二千人伴に 洛中 ( 正 朝廷)より #家長下向 海南向 #貿易船550年前 大正町( 窪川の奧 四万十川上流 )ノ 椎茸 等 ヲ 渡川 ヲ 筏 デ運び 寧波(当時 明 ミン)ヘ (瀬戸内海を通らない南ルート 下田~ 宿毛~(宇和島)~豊後~薩摩 経由)輸出 輸入シタ 香木 ノ 品ハ 堺(sakai)港 へ。目録 ハ 洛中の #大覚寺 文書 (十年間にわたり) ニ、 下向前の事ハ 同腹弟 #尋尊(じんそん)日記「#大乗院寺社雑事記」ニ 記録 残リちよル 公心(おおみごころ)すめらみこと みことのり 内裏しきたり ⭐調べたところ 渡川合戦…下剋上ノ世ノ中 信長 秀吉に対抗し 長宗我部が土佐岡豊から四国制覇をもくろみ 毛利も伊予に進攻参戦 今年の夏は 兼定 公 の命日(#旧暦 七月一日)に 戸島(南予 宇和海)に お祀りされちよル 宝篋印塔に 礼拝できたけむ 安堵した 処暑 天地始粛(#てんちはじめてさむし)候 戊戌(平成三十年2018)葉月晦日 金曜日 #こむらさき 大きいぶどう #藤稔 #Arigatougozaimasu💖h30 祖母 の御家(おうち)では よう 仏壇にお供えされちよリたル #黒糖唐饅頭 “とうまん” オランダから伝来した #宇和島名菓 (長崎 出島経由)土佐山内 宇和島伊達 薩摩島津は 近世の 江戸徳川の世になリても 密貿易 を 続けよリたル それ加えに 源平合戦以前よりずうっぅと 中央政権と敵対し続けよリたル 長州 も 祖母 小松多満生(明治三十九年生まれ) #四万十(旧 幡多郡 中村 )市 幡多荘園 入田(にゅうた) 久礼場 出身 毎 #朝拝み(あさヲムガミ) 精進修行 挺身致心献資 寄進歓行 報恩感謝使命実践 やりよリたル お盆は 火 を 灯(とぼ)して 御先祖様 を お迎えして #旧暦 の文月中六日に送る 香山寺 さん から 毎年 来てもらふて~ #奧御前(土御門殿)谷 ノ 小松一(安芸栃ノ木出身)さん ノ 養女 トナル 肉親ノ父 ハ 佐川 ノ 造り酒屋(旧家) 二十歳デ 小姓町 ニ 助産院を開業より 言ひ伝えられちよル~ 祖母の祖父 孫太郎さんは ふんどしまで 絹やリたるとぉ~ 新政府(年号明治)になリて 久礼場(くれば)屋敷に 匿うちよリたル #江藤新平 を #四万十川河口の下田 から 舟に乗せ 高知城下で 江藤 が 終ひ になリたル後 水杯をあけ「さらばぢやル」と馬に乗リて発ちて 暫く 江戸に行っちよリたル 孫太郎さんの嫁は 山内容堂公 伽 土佐藩中老尾崎(高知城麓の屋敷は今は天理教になリちよル 容堂公が藩主になリては安芸の和食で本陣屋 運営) 順平さん娘で 明治になリて 幡多に来た 尾崎は 幡多全域から南予にかけて 大問屋 を 営むぢよリたル shirokanedai_laughing_yogaさん(@shirokanedai_laughter_yoga)がシェアした投稿 - 2018年Aug月30日pm8時23分PDT