私の理解不足で、3月の嘯菴塾のまとめが遅くなってしまいました。
 「犬射馬場」という地名をめぐり、「武士たちが犬追物などの武芸を行った馬場である」との説に対し、他所の事例なども参考に、鎮西探題の「乾」の方向にあった馬場であるということを力説されました。なぜこれを力説されたのかというと、蒙古襲来を機に設置された鎮西探題は、鎌倉幕府の幕府自体や六波羅探題につぐ重要な国家機関であるので、この位置や大きさを確定する事はこの博多の歴史にとって非常に重要であるとの思いからです。
 また通説では馬場新町(博多駅前1~4丁目)が現在残っているので、犬射馬場はこの近くにあったに違いないとするのに対して、万行寺前町が古くは馬場町と呼ばれていた事から、ここが犬射(乾)馬場に由来する地名であると言われます。
 次回はいよいよ鎮西探題に本題が及ぶかなと期待されます。
 今回は分かりにくかったようで、みなさまも多少消化不足気味でした。あとから現地案内をしてほしいとか、せっかく大河ドラマで清盛が神埼庄から勧請した櫛田神社や博多の大唐街の話が出たので、これらの事も話してほしいとの要望も出されました。
 4月は12日、18時からです。聖福寺でお目にかかりましょう!