彦島遠景 やっちゃんと私
角倉小学校(ホームページより)
角倉小学校玄関の掲示
私ももう70半ば、孫ができて何か残してやれるものはと考え、私の経験をまとめてみようと思い立ちました。
まず時は昭和30年代、モータリゼーションの始まりです。関門国道トンネルができたのもこの頃です。
父の転勤先の下関彦島は本州の一番突端として大きな石油基地がおかれました。
私は団塊の最も多い世代、小学校は江浦小学校からまずは分校として3年後には角倉小学校として独立しました。その間は教室を造りながらですから、午前の部と午後の部の二部授業でした。はじめは運動場もなく、1年生の私たちもトロッコで土運び、こんなことを幼馴染の「やっちゃん」と懐かしく思い出しました。
角倉小学校では藤原校長先生が丁寧にお迎えくださり、その頃の資料なども見せていただきました。現在はその頃からすると児童数は十分の一くらいになっていますが、地域の方たちとの連携が素晴らしく、そのおかげで子どもたちも礼儀正しくすくすくと育っています。私が教育長だったころを思い出し、角倉小学校のこの素敵な実践をとても嬉しく思いました。
とても清々しい一日を過ごさせていただきました。




