前回よりの引き続き記事となります。

60からの卒婚について書いております。

 

 

離婚と言いますと

もはや一時は家族として連れ添った相手も‥敵‥

 

いえいえ、もし戦うことが必要な場合ですね。

どうしても離れたい、縁を切りたい相手

それが夫‥(または妻)となるかなと思います。

ケースによっては、他の方の場合もあるかもですが。

 

昔は離婚は、どうしようもないほど、

相手が嫌な場合でしかできないだろう‥と言われておりました。

なぜなら、少なくともその二人で築き上げた、または

分かち合った色々なものがあるからです。

 

家、財産、私物、その他、あらゆるものです。

もちろん、子供もその一つです。

 

それをどう分けるのか?

時に熾烈を究める場合もあり、

また、2人だけの問題ではなく親類縁者が関わることもあり‥で、

相当困難を要す。つまり、簡単に半分ことはいかない。

なので、生半可な気持ちでは離婚はできないよ‥なんて

女性たちは言っていたものでした。

 

もちろん、何か相応の理由がある場合は別です。

相手に決定的な非がある場合は、闘うことも大いに結構でしょう。

この話も長くなりそうなので、今回は割愛しますね。

 

つまり、離婚は、相手という対象と離れる。

関係の解消。

フォーカスされるのは「相手」との関係です。

そんなイメージです。

 

離婚について、もっと色々書きたいところですが、

今回のテーマは、卒婚についてですので、話をそちらに進めます。

 

対して、卒婚とは?

 

フォーカスポイントがズバリ

 

自由を選択する

 

これに尽きるかなと。

 

もちろん、違う言い方もできます😌

 

常識や形式、従属という支配から解き放たれる。

檻、または籠から飛び出す。

妻や嫁や母という役割を捨て「自分」を生きる選択。

「わたし」というライフへ進む決意。

 

 

もはや、相手のことを恨むだの、罵るだのはないのです。

お互いが自由になるために、別々のライフを選択する。

結婚という形の卒業。これが卒婚。

我が家の場合はまさにそうでした。

 

 

人は変化する生き物ですね。

私たちも60年も生きていれば、色々変化します。

価値観、人生観、ライフスタイル、趣味、好み

同じところに留まっていられるはずがないのです。

 

その上、60は一区切り。

働いている方なら当然感じるところでしょう。

社会での役割に一区切りつけ、さぁ、次は何をしよう?

そういう年齢です。

昔は、60は隠居イメージありましたが、今は全く違います。

これから新しく何かに挑戦できる年代なのです。

時代が変わり、私たちの意識も変わりました。

 

 

ずっと同じところを見ている

ずっと寄り添って生きる

このようなご夫婦が世の中にどれほどいるでしょう?

いらっしゃるとしたら、その方達は

 

⚫︎ 人生にお互い変化がなかった

⚫︎ 同じように2人とも変化してきた

⚫︎   どちらかに無理やり合わせてきた

⚫︎   自分に嘘をついている

 

さて、どれでしょうか?

 

おそらく、一番ベストなパートナーシップは

 

⚫︎ お互いが自立し、自分のライフを創造している

  そして、そのライフが交差している

 

ということなのかなと察します。

素晴らしいですよね。

いや、なかなかいらっしゃらないですし、

仮にいらっしゃったとしたら、そのお二人には大きな

共有すべき学びがあるのでしょう、そう、二人のこと以外に。

 

 

かくいうワタクシは?というと、

無理やり合わせてきた または、自分に嘘をついてきた

のどちらかかもしれません。残念ながら。

子供が独り立ちするまで、待っていたクチです。

 

なので、綻びが生じてきます。

でも、なかなかね、自分に正直に生きるのは難しいのです。

 

なぜなら、

ひとりになるのが怖いから。

 

そう、卒婚の対象(敵)は、相手ではないのです。

自分。

 

この先、年老いていく自分の未来。

お金、仕事、孤独、病気‥。

 

果てしない、見果てぬ未来への恐怖と不安と対峙し

それを乗り越えていかねばなりません。

 

相手ではないのです。

最大の敵は

 

自分

 

それが卒婚です。

 

 

 

つづく

 

 

先日乗った船からの景色

まるで鏡面のような水の美しさに圧倒されました。

人との関わりもまた、このような鏡のようですね。

 

なぜか向きが変ですが。。