2024年を迎えたけれど、実際のところ、

立春からが本来の新年のと感じるのは、やはり

謹賀新年と言うのと同じく、それからが銀河新年だということからだ。

 

いろいろと禊多かった昨年ではあったけれど

さらに年明けてからの1月は誠に厳しかったように思う。

能登半島地震にはじまり、なかなかのプロローグだった。

 

そんなこんな鬱々とした日々にも、やっとうっすらと陽がさしてきたな

そう感じたのが、節分あたりだ。

慢性的な陰の毒だしから、静かな抒情詩のような、まだらな晴れ間が

あたたかさを帯びながら感じられてきた。

あぁ、これで何とか、闇から抜けられる時が来たかな‥と。

 

周りを見渡してみると、壮絶な日々を送った人、

環境が変わっていた人、家族によって意識改革が行われた人

体調不良に襲われた人、なんとなくスッキリした人

 

さまざまであるが、一様に言えるのは

頑固親父や、執着婆さん

といった人格が、自分のペルソナから去った

または、去らずにはいられなくなった‥と言う印象だ。

 

固執してきたこと、ずっと握りしめていた

過去の記憶、過去の栄光、過去の傷

良いも悪くもなく、全てもう、いらない。

この先はね‥みたいな。

 

そしてこれからは、もっと自由に。

こだわりなく、オープンに。

今年はそんな風のようにありたいものだ。

なかなか難しいけれども。

 

いや、きっとそうなれるかな。

あなたも「ワタシ」も。

 

 

 

放浪中に訪れた、宮古島の朝陽