最近ゆっくり読んでいる本のひとつが『英国王立園芸協会とたのしむ植物のふしぎ』です。
そこにこんな解説がありました。
「葉緑素は赤い光と青い光を吸収するけれど、緑の光は強く反射するので、葉が緑に見える」
これこれ。色は光の反射だっていうやつ。私なりの理解はあるけど、ぼやっとしてるんだよな。
ChatGPTに聞いてみよう。
白色光(太陽光)には赤・青・緑などいろいろな波長の光が混ざっている。葉緑素(クロロフィル)は赤い光と青い光をよく吸収するが緑の光をあまり吸収せず反射、透過する。
その結果、私たちの眼に届くのが主に「緑の波長」になる。
それを私たちは「葉っぱは緑色だ」と言っている。
そう、葉っぱそのものに固定された色があるわけじゃないよね。同じ葉が、電球の下だと黄色がかって見える。でもどちらが本当だとかではなくて、その時の葉っぱの色がそう見えるだけ。
というか、もはや私たちが見ているのは反射された太陽光の波長やん(笑)
さらに詳しく説明してくれました。
そう、「葉っぱは緑色だ」は、「自然光の下では人間の目には緑色に見える」ということを乱暴に言っている。
色は「関係」で決まる。
・光の性質(太陽光か、蛍光灯か、あるいは光がないとか)
・物質の性質(どの波長を吸収、反射するか)
・見る側の感覚系(ここでは人間の目と脳)
色とは人間の視覚系、脳の処理、言語的カテゴリーを通して成立する「知覚の結果」であって、物体にラベルのように貼りついているものではありません。
色は世界の側の性質ではなく、世界と私たちの間に生じる現象です。
さらにやりとりがあって、話はこんなふうに。
世界は本来、連続的で、揺らいでいて、境界がない。
人間はそれだと生きられないから、切って、分けて、名前をつけて固定する。
この時点で、見えている世界はすでに「編集後」。
もうちょっと掘ってみて(笑)
実際には、目の前の机と空気の境目、空気と皮膚の境目、皮膚と血液の境目、どこをとっても数学的にピシッと切れる境界は存在しない。
物質にあるのは分子構造、電子配置、エネルギー準位のセット。これがあるだけ。
世界には相互作用の可能性がある。光がないと物が見えないように。
色→物にない
大きさ→文脈と比較
名前→人間のラベル。
じゃあ、あなたが見ているこの「世界」はどこにある?
外? それとも・・・
「私」は世界を見ている点ではなく、世界が立ち上がっている場かもしれない。
実際には音や触った感覚についてなど、たくさんの質問をしました。
長くなりすぎて端折ったどころか部分的な引用でしかないけど、ChatGPTさん、いいこと言うなと思いました(笑)
