2023年4/19【637】good 難易度3

学んだ言語は25以上!
『誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く』がモットーの辺境ノンフィクションライター・高野秀行氏による『語学』にまつわるエトセトラ。


なんというか、もうホント、高野さんすごいわ~


ただ与えられたレールの上に乗っかっているだけなのに、どうしてこんなに濃すぎる体験ができてしまうのだろう。

それはやはり、彼が『今』に『一生懸命』になるからなのかと思えてならない。

例えていうなら、与えられたレールの上の貨物をより快適にするためにあらゆる工夫をこらす、ときに装飾にこだわり、ときにエンジン性能を追求し、ときに貨物にゲーム部屋まで作っちゃう、そんな感じだろうか。


『早稲田大学仏文化卒』なんて聞いたらビックリするけれど、その実態は…
なんなのよ~拍子抜け。

『学んだ言語は25以上』にも目がテンになってしまうけれど、なるほどそういう経緯があってなのね深いわ~、と感心せずにはいられない。

彼にとって『言語を学ぶ』ことはRPGゲームと同じ。
ライフワークの怪獣探し(なんだそれ)と、言語を学ぶつまり言語の法則を自分で見出だすことは、どちらも同じ『探険』なのだ。


まず著者が青春時代を送った1980年代のエトセトラがズサンすぎてテキトーすぎて軽くショックである。
日本もしょせんはハリボテ国家だったんだなぁという印象(今も?)。

続いて著者(というか早稲田大学探険部)のフットワークの軽さにも、毎度のことながら眩暈を覚える。
「怪獣探しにコンゴへ行こう!」って本当に探しに行っちゃう普通?しかも早大生が怪獣探しだよ?

そして、そこで陥るアイデンティティクライシス。
むむむ~。


様々な原住民言語を学ぶうちに思い至る、民族による価値観や世界観の違い、大きくグローバルな視点での『言語とは?』の考察がとても興味深い。
マルチリンガルを「すごーい!」なんて思っちゃうけど(実際すごいけど)、たぶんそれ、なにかが違う。

(母国語以外の)言葉を身につける理由それは、究極的に言えば『あなた』のことをもっと知りたいからなのだ。

教科書的な言葉を知っていても、たとえテストで満点がとれても、それでは心は通わない。
生きた言語、目の前にいる生きた相手、視線を交わし笑い合う、共に感情を分かち合う、それが、異文化を学ぶ理由ではないか。

「ありがとう/ごめんなさい」という言葉すらもない民族。
言語が通じないゆえの相容れない生活圏と文化の断絶。
『言葉』を通じて考えさせられる高野流『人間とは?』考察には深いものがあった。

そして数ヵ国を操っていてもなお陥る「俺は何をしているんだろう」の悩み。
自分は何をしたいのか。
自分は一体何者なのか。
そんな悩み含めて、人はどこまでも『人間』なんだなぁと感じた。


また彼独自の語学学習法や語学分類学的考察なんかも満載で、なかなかに興味深い。

そんな高野氏のクレイジーで真剣すぎるハマりぶりは端から見ているぶんにはとっても面白いのだが、そこから得られたマニアックすぎる学術的考察には個人的に正直毎回あまり興味を感じられないので、ごめんなさーい!である。


とにかく高野氏の、行き当たりばったりだとしても一体どうしてこんなことになっちゃうの?なブッ飛び行動力には「人生を面白くするか否かは自分次第」だとつくづく思うのだ。


コロナ禍により秘境へ行きづらくくなった今、著者はいま納豆にハマっている?ようなので、次は納豆いってみようかな。

本当は納豆もあまり興味ないんだけど。。



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