2022年12/22【599】good 難易度4

コーヒーが好きだ。
「健康に良いから」という理由で飲んでいるうちに飲まないと気が済まなくなってしまった。
ただし味に関してはさっぱりわからず色さえ付いていれば何でもいい。

がしかし!
せっかく常飲しているのだからどうせなら美味しいコーヒーが飲みたい!
と思って読んでみた本書である。


読了後の感想。
「珈琲、奥が深い。」

奥が深いのは珈琲に限らずいろんなことにあてはまるんだろうけれどねぇ。

学生時代にクーラー目当てで入り浸った喫茶店でコーヒーを飲んでいるうちに私のように美味しいコーヒーが飲んでみたくなり、味の違いがなんとなくわかるようになって珈琲店巡りをするようになり、やがて自分で淹れたくなってそのうち器具にまでこだわりだして挙げ句の果てに海外の珈琲農園にまで赴くようになる著者。

曰く
『珈琲をより愉しもうと越えてはならない境界を踏み越えてしまったがために「大好きな珈琲と格闘せざるをえなくなる」という、何とも馬鹿馬鹿しい羽目に陥った者による滑稽な記録』の本書。

著者のその果てのない珈琲沼にズルズルとハマりこんでいく過程が、いやはやなんとも笑えるに笑えない。
わ、わかるーーっ!


フィルターの縫い目だのミルの性能だのお湯の注ぎ方だのコーヒーカップに至るまで。
その一つ一つで珈琲の味は全然違うものになるらしい。
面倒くさーっ!

でもでもでも。
私が趣味でやってるバイオリンだって同じではないか。
楽器が違えば弓が違えば弦が違えば肩当てが違えば音色も違う?
面倒くさーっ!

も~何なの?
私は一体どうすればいいの?


私は常々思うのである。
珈琲の味(バイオリンの音)のわからない私は幸せなのだろうか?と。

何を飲んでもそれなりに満足できる。
最高の珈琲で感動することがないかわりに、劇的に不味い珈琲に出合うこともない(味の違いがわからないからね、あはは)。

下手に追求しないほうが幸せなのか。
ひろゆきやミニマリストの本にはこう書いてあった。
コンビニの弁当で満足できるのが幸せだ、って。
本当にそうなのだろうか。

結局、美味しい珈琲とはなんだろう。
高価な珈琲であるほどそれほ美味しい珈琲なのか?
違うのだ。

ことにコーヒーの場合(というか…どんな分野でも?)貧しい国の農園から安く仕入れ日本で高く販売するその辺の経済事情も入ってきて非常にややこしい。

酸化して飲めたもんじゃない珈琲が一般に流通し、砂糖やミルクを大量に入れて本来の味を誤魔化しまくって消費される現在のカフェ事情。
みんなが「いいね」というものにとりあえず飛び付いている現状。
それはそれでありなのかもしれないけれど。。


次第に著者は不味い珈琲は全く飲めなくなってしまったという。
その代わり、珈琲の深い味わいやキレだの輪郭だの喉越しだのスッキリ感などがわかるようになってきた。
それはただガブ飲みしているだけでは決してわからない世界だろう。

コーヒー素人の私と、珈琲ツウの著者。
どちらも珈琲好きだけど、どちらが幸せなのだろうか。


と、ここで私は気が付いた。
どちらが幸せか否か、その問い自体が間違っているのだ。

何かを学び追求していく過程そのものの中に喜びがあり新しい発見がある。
知りたいから学ぶ。
ときには挫折し絶望するこもとあるけれど、より繊細な美を感じ取れる感覚があることは、あることは、きっと…うーん…(振り出しに戻る)。


と、とにかく。
素人の私にとっては少々高度で、マニアにとっては当たり前のことが書いてあるだろう珈琲本ではあったが、他人事とは思えない本であった。

明日は我が身だったりして。


《後日追記》
このあとも機会があれば美味しい珈琲を求め、嗜む際もなるべく集中して味わおうと意識しているつもりではあるが、たぶん私、珈琲に対する味覚がかなり鈍いんだと思う。。
全然違いがわからない。。


🌼コメント宜しくお願いします😊🌼